「薄々は予想してたけど、こんなところにいたんですね」
懐中電灯を逆さに立て光を最小限に抑えた事務室の中、扉を開けた人影が玉木重雄(背番号30)であることを確認し、広池浩司(背番号68)は言葉を発した。森笠繁(背番号41)を小山田保裕(背番号39)らに託した後、河内貴哉(背番号24)とともに入り口左手の事務室へと通された(その河内は緊張が解けたのか、向かいの机に突っ伏していた)。ほかにも数名の選手(大方投手ばかりであろう)が小学校へ身を寄せていたのだろうが、その選手たちとは違う部屋へ案内されたことが二人への警戒を解いていないことを暗に意味していることは、十分に理解できた。全く、こんなにも同僚への信用を失わせるなんて。すごいな、このゲームは!―――くそ、ゲームがなくたって投手間の信頼なんて元々薄いものさ。今年はまだいつもより防御率はよかったけどな。
「あれ、どこで見つけたの?」
「言った通りですよ。移動中に道の真ん中で倒れてたんです、あの状態で」
「そうか―――河内とはずっと一緒?」
玉木が不自然に言葉を詰まらせたことが気にかかり、広池はそれを問おうとしたが、玉木の次の質問に遮られ言葉にはできなかった。
「ええ、昨日の夕方ぐらいかな、そっからずっと一緒にいました」
「そうだったんだ。無事でよかった」
よく聞くと若干不自然さが残る発音で(それは玉木にとって日本語が母国語ではないため仕方のないことだった。自分のスペイン語だってドミニカの人間からしたら酷いもんだっただろうと、広池の頭の中、必要のない昔の思い出が一瞬蘇った)、それでも本当に安心したという感じで玉木が呟いた。
「今度はこっちから質問したいんですけど」
玉木がああ、忘れてたといった表情を作った後、一つ頷いた。
「ここには玉木さんと小山田と佐竹の他にあと誰がいるんですか?」
少し逡巡した様子を見せて、それでも話して大丈夫と判断したのか、玉木が答えた。
「小山田と佐竹は見たんだよね。後は山内さんとキク―――菊地原と横松、それに幹英。7人いる」
「誰がこのメンバーをかき集めたんですか?背番号順に見たら横松かキクさんでしょうけど―――」
広池には、菊地原毅(背番号13)はともかく、まだ入団して一年もたたない横松寿一(背番号11)などがここまでのメンバーを集めるとは俄かに想像し難かった。
「いや、僕とか小山田が中心だよ。偶然だけど、なんとか7人集めた」
「それって危なくなかったですか?攻撃とか、されなかったんですか?」
玉木の顔が翳る。
「攻撃はされなかったけど、由基さんには逃げられた。ほら、背番号近いじゃない。それで同じ方向に逃げてきたみたいだから最初に声かけたんだけどね」
前回の放送で読み上げられた田中由基(背番号36)の名前に、広池は無意識に納得の感情を覚えた。ああ、由基さんね。―――それだけで終わってしまったけれど。
「けど、それだけなら幸運じゃないですか」
「そう…だね。やっぱり最初のうちに小山田に会ったのが良かったのかな。あいつ、妙にみんなに好かれてるみたいだし」
控えめな笑みを浮かべる玉木につられて、広池も微笑んだ。そういう余裕は今はないけれど、まあ、ずっと気張ってたんだ。これぐらいはいいよな。河内だって、いつの間にか寝息を立ててるじゃないか。
「背番号だけで考えたら、玉木さんと佐竹と小山田が最初にあったってことでいいんですかね?」
「うん、それでいい。ピッチャーばかり集まっちゃったから、とりあえず逃げる中で見つけたピッチャーに声かけようってことになって」
「…そういえば、幹英さんとは最初から一緒じゃなかったんですね」
小林幹英(背番号29)と玉木は背番号が続いている。佐竹や小山田に会うよりも、まず小林に会いそうなものだと思ったのだ。
「幹英は小学校に来るまでの中では最後だったよ。ちょっと色々あったみたい」
「色々?」
「僕もよく分かんないけど。―――その前に山内さんと横松に会えていて、さすがに六人だと移動が難しいと思って、ここに逃げてきたんだよね」
玉木が時々意味深に言葉を区切るのが気になってはいたが、話を掘り下げたところで詳細は知らないのか、あくまで隠し通すのだろうと判断し、広池は話をつなぐ。
「それだとキクさんがいない」
「キクねえ」玉木が苦笑する。
「あいつ、今日の昼前に一人で無用心にこの辺歩いてたんだよ!これ、どう思う?しかもさ、武器なんか銃は銃でもおもちゃの水鉄砲でさ。それが分かった時にはみんなで大笑いしたよ」
その様子を思い出したからなのか、玉木は口元の緩みを隠し切れないでいる。いかにも彼らしいエピソードだ。それにしても、菊地原といい、何かあったのであろう幹英さんといい、ここまでまだ生存している。このグループは案外強運揃いなのかもしれない。些細なミスで壮大な計画をパァにしてしまった俺にその運をいくらか分けてほしいところだが、ここに居過ぎては終わるものも終わらない。
「キクさんらしいや」と一つ笑んだ後、広池はすぐに表情を引き締めた。やらないといけないことが、俺にはある。
机にあった電話用のメモを手元に引き寄せると、それにささっていたボールペンを紙上でくるくると踊らせ、そして書いた。
“適当なこと話すんで、あわせてもらえますか?”
怪訝な顔をした玉木を確認すると、ボールペンで首輪をさし、再びペンをメモ上に戻した。
“盗聴してるんです、こいつが”
玉木の眉間の皺がいよいよ深くなる。
「それで、今キクさんたちは?」
“ここには、このゲームを止めるための道具を借りに来たんです”
眉間の皺が消えないでいる玉木だったが、昼間の河内と同様に目についたペンを取って同じメモに疑問をぶつける。
“盗聴って本当?ゲームを止める?”
“盗聴は確認しました。それに気付かなかったせいで、ちょっと問題が起こって”
玉木が首を傾げる。河内といい玉木さんといい、ちゃんと言いたいことは書こうぜ。
“ゲームを止めようとしました。けど、河内に説明してたらそれを聞かれてたみたいで、全部ダメになりました”
“何かやられたんだ?”
“まあ、ちょっと”
そのことを事細かに書いたところで、きっと玉木は半分も理解できないに違いない。試合前にソリティアで遊ぶぐらいしかパソコンの使い道がないよ、などと以前豪語していたほどだ。
“で”
「そんなに隠さないでくださいよ。みんなと会わせてくれたっていいじゃないですか」
口と手を同時に動かすのはなかなか難しい。ただ、さっき玉木には適当なことを話すと書いたけれど、それは嘘だということに気付いた。せっかくここまで来たのに誰にも会えずにいるなんて、さすがにちょっと虚し過ぎるんじゃないか?
“軽トラと肥料がほしいんです。それがあれば何とかなりそうなので”
「いや、別に隠してないよ」
玉木もやっとのってくれた。この台詞が本心だったら嬉しいのだけれど。
“そんなもので止められるの?”
“100%うまくいくかは保証できません。今持ってるものと、そいつらを使って「走るダイナマイト」でも作ってやろうかと思ってます。危険は承知してます。だけど、やってみる価値はあると思います”
そこまで書いて、ビッと用紙を破いて玉木の前に差し出した。文字サイズを小さくしても、すぐに埋まっちまう。
「折角いるって分かったのに、会えないんじゃ寂しいですよ」
“ただ、実行する時もそうだけど、準備するのも注意が必要です。途中で邪魔が入ったら、この小学校だって半分は壊してしまうかもしれない。厳しい計画だとは思います。俺もこんなゲームでなけりゃやろうとか考えません。だから、ちょっとみんなを巻き込めない”
ここまで書いて、ちらっと玉木に視線を送った。眉間の皺は相変わらずだが、広池の言葉に何やら思いを巡らしているようだ。広池が続ける。
“できることなら、早めにこのゲームを終わらせたい。なので今すぐにでもさっきのやつと、あと作業する場所を貸してもらえませんか?それと”
ほんの少しだけ手を止めた。
“計画を実行する時になったら、河内も面倒みてほしいんです”
玉木がすぐに筆を走らせる。表情の変化はまだない。
“一人でやる気か?”
“さっきも書いたはずです。巻き込めないって。特に河内は、まだ先がある”
“お前一人だけ全てを背負うなんておかしいぞ。河内だって、きっとお前を信頼して一緒にそれをやりたかったからお前に付いてきたんだろう。それに、その話を聞いて何も手伝わないなんてありえない。俺らも何か手伝えないか?人手ならここに七人いる。危険だっていっても、一人じゃ限界があるだろ。この話をみんなにしたら、きっと分かってくれると思う”
「…分かった。じゃあ、会いにいくか。ちょっと不安がってた奴もいたから様子を見させてもらったけど、広池たちなら大丈夫そうだ」
用紙をめくりながら玉木が言葉を返す。その発言とメモの内容に、広池は久しく触れていなかった嬉しいという感情に出会えた。さすが玉木さん、ブルペンさながらのまとめ役っぷりだ。あまり情に流されてる暇もないけど、少し昔の雰囲気に浸ろう。無論、再会したところで計画に皆を巻き込むことなんて、できやしないけど。
「ありがとうございます。安心しました」
“お気持ちはありがたく頂きます。けど、みんなにはとにかくこれをやり終えるまで無事でいてほしい。成功したら、帰れる可能性はぐっと増えます。今はただ、さっきのブツ、それに作業場所さえ貰えれば”
「さて、この寝てるのはどうしましょうかね。放っておくのも何だし」
作り笑いで河内を見やる。いつの間にか眉間のしわは消えているものの心配そうにこちらへ顔を向ける玉木に、おどけたように肩をすくめる。
“No te preocupes.”(心配しないで)
これだけ書いて再度玉木の顔を覘いた。―――あれ、レスポンスが返ってこない?あ、ブラジルってポルトガル語だったっけ。けど何となく分かりますよね?スペイン語もポルトガル語も似たようなもんじゃないですか。
“何も死にに行くわけじゃないですよ。無駄なことをやる主義でもないです。大丈夫。きっと成功します。俺がそうさせますから”
メモと広池の顔を二度ほど玉木の視線が往復した後で、三枚目の最後の余白に玉木は強く書き足した。
“分かった。あとは向こうで話そう。そして、みんなで帰ろう”
【残り23人】
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