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話し声。移動に伴う物音。あるいは殺しても殺しきれないかすかな息遣いでもよかったが、東出輝裕(背番号2)の耳に聞こえてきたのは、液体が草を叩くぱらぱらという音だった。ごく近くのやぶの中、誰かが用を足しているのだとわかった(そう、どこかの飼い犬が紛れ込んでいるのでない限りは)。首をちらっと上に向けると、漆黒に無数の光が点在する空が見えた。
佐々岡真司(背番号18)と出会い、どうにか逃げおおせた後、東出がまず考えたのは、銃が必要だということだった。兵動秀治(背番号4)や岡上和典(背番号37)と出くわしたのはほとんどアクシデントだったが、そのあと、矢野修平(背番号66)と酒井大輔(背番号67)の争う声を聞きつけて、二人を倒し、うまく銃を手に入れることができた(本当は最初から銃があれば、厳島神社へ戻り、出てくるやつを次々に片付けることもできたのだが。それができれば敵は木村拓也(背番号0)と前田智徳(背番号1)だけになるところだったのに)。そして銃さえあれば多少大胆に動き回ることも平気だったし、福地寿樹(背番号44)とやりあった後の黒田博樹(背番号15)や不意打ちをかけてきた澤崎俊和(背番号14)を倒すのも簡単だった(しかし黒田にとどめを刺しておかなかったのは本当にまずかった。気を付けなければならない)。
しかし今は、丸腰だ。兵動が持っていたナイフも使ってしまったし、手元には、最初に自分に支給されたカマがあるきりときている。何としても再び銃を入手する必要があった。なぜなら“やる気”になっているのは自分だけじゃない。あの、高橋建(背番号22)と横山竜士(背番号23)を倒したマシンガンの誰か(もし他にマシンガンが出回っていなければ、それは金本知憲(背番号10)で確定だろう。石橋尚登(背番号65)を追っていた最中、金本の右肩にそれはかかっていた)がいる。そのマシンガンの音は、夕暮れ時にもまた、けたたましく響いたばかりだ。
もちろん、その分逆に、無理して自分がほかのチームメイトを減らすことはない、そいつに任せておいて、自分は無理なくやれるときに無理なくやるということでもいい、とは言える。事実、その夕暮れ時の交戦と思われる銃声が響いた際は、東出は近づかない方がいい、と判断したのだ。マシンガンにも、そして相手がもっているのだろうと思われる拳銃(一人で撃っているにしては発砲音が多い気がした。複数で組んで行動しているのだろうか)に対しても分が悪い。そして、ただ死体が転がっていないか、万一にでも銃がないか探ろうと音の発生場所であろう位置まで動くうちに、佐々岡を見つけ後を追った。そしてそれこそ、無理なくやれる仕事のはずだったのだけれど―――。
とにかく、最終的にはそいつ、そのマシンガンの誰かとやりあうことになる可能性が高い。そのときに銃がないというのは圧倒的に不利だ。拳銃とマシンガン、どころじゃない、カマとマシンガンではそもそも勝負にならない。
もちろん佐々岡をこっそり尾けていくこともできたが、佐々岡から銃を奪い返すのは困難なような気がした。なぜ、佐々岡は自分の存在に気づいた?―――細心の注意を払って近づいた自分に。それに、今度こそ、自分を見つけたら、容赦なく撃つだろう。
そういうわけで、東出はやむなく山の中を移動しているわけだが―――今、ようやく、耳に物音が届いている。東出はその物音を頼りに、やぶの中をかき分けて進んだ。ただし佐々岡の時以上に慎重に。こちらが音を立ててはならない。
やぶが切れた。茂みの中にぽっかり開いた四畳半ぐらいもないほんの小さな空間がそこにあった。正面も右手もやはりやぶになっている。左手もまたそうで―――その隅に、ユニフォームの男が、背中を向けて立っていた。ぱら、ぱら、という音がまだ続く中、落ち着きなく顔を左右に振り向けている。
もちろん、誰かに襲われやしないかと不安でたまらないのだろうが、それで、男が浅井樹(背番号6)であることを確信した(顔を見る前に、背中の文字で見当はついていた)。身長は高め、がっしりした体で、顔はまあ―――言うのやめときましょうか。
そんなことより何より、その浅井が、用を足しながらも右手にしっかり握っているものが東出の目をとらえた。
―――銃だった。やや大型の、回転式だ。東出の口元に、またあの堕天使の笑みが浮かび上がった。
浅井の小用は、まだ終わらないようだった。随分長く我慢していたのかもしれない。浅井は相変わらず首を左右に振り向けながら、膀胱が空になるのを待っているようだった。
東出は物音を立てないようにゆっくりとカマを右手に抜き出し、待った。ズボンのジッパーを上げる時、浅井は両手を使わざるを得ないだろう。無理して片手で済ませるとしても、隙ができる。
その時が浅井さんの最期になるみたいですよ、どうもね。
音がまばらになった。一旦止まり―――もう一度ぱらっと音がして、今度は完全に止んだ。浅井はまた辺りを見回すと、さっと両手を前へ回した。
その時には、東出はもう浅井の背後へ忍び寄っていた。短く髪を刈り上げた浅井の後頭部が、目の前に迫った。右手のカマを持ち上げかけた。
誰かが背後で「あ―――」と言うのが聞こえ、浅井がそれでびくっと振り返ったのだけれど、びくっとしたのは東出も同じだった。カマを振り上げるのは(当然ながら)やめ、声のした方を振り返った。
町田康嗣郎(背番号5)が、立っていた。体つきの割に童顔なおっさんだ。右手に、それが武器なのか金属バットを提げ、東出を見つめて口を開いていた。
浅井が東出を認めてこちらも「あ―――」と言い、それから「くそっ」と言って、東出に向けて銃を持ち上げた。町田の出現自体に驚いた様子がないところを見ると、浅井と町田は一緒にいたようだ。東出は内心、歯噛みした。浅井は、ただ用を足すために少し町田から離れていただけだったのだ。それを確認しなかったなんて、俺はなんて馬鹿なんだろう!こんなところでまで二人一緒になってる必要はないでしょうに!
それどころではなかった。浅井の持ったリボルバー(どうでもいいことだが、スミスアンドウエスンM19・357マグナムだった)の銃口が、まっすぐ東出の胸の辺り(ちょうど「CARP」のR付近)を狙っていた。
「浅井!やめろよ!」
町田が、恐らく状況に対する混乱と、それに、今、目の前で人が殺されようとしていることに対する狼狽でか、引き攣った声を上げた。浅井は、今にも引き金をひきそうだったけれども、多分、撃鉄が落ちるほんの〇・数ミリ手前でその指が止まった。
浅井が銃は東出にポイントしたまま、町田の方を見た。
「なんでですか!こいつ、俺を殺そうとしたじゃないですか!こいつの右手、カマなんか持ってるじゃないですか!」
東出は「ち、違います」とのどの奥から消え入りそうな声を絞り出した。語尾を高く震わせ、もちろん、体を一緒にすくませるのも忘れなかった。またまたこのたびの主演俳優、東出輝裕さんの見せ場ってわけか。目あけてよっく見とけよ。
「お、俺」
カマを捨てようかと思ったが、握りっぱなしの方が自然に見えそうだったのでやめておいた。
「話しかけようとしただけです。そ、そしたら、浅井さん、よ、用を足してるって分かったから―――」
「嘘つくな!お前は俺を殺そうとしてたんだ!」
浅井は銃を下げなかった。しかし、銃を握ったその手が、ぶるぶる震えていた。多分―――引き金をひくのをためらわせているのは、実際に人を撃つことの恐ろしさだけだろう。東出を見た途端、ついさっきなら、勢いですぐにでも撃ったところだっただろうが、町田に止められて考える余裕ができた分だけ、ためらいが生じたのだ。そしてそれは―――浅井さん、あんたの負けってことなんですよ。
「やめろよ、浅井」
町田が、懇願するように続けた。
「さっきも言ったろ。俺たち、仲間を増やさなきゃ―――」
「冗談じゃないっすよ」
浅井が首を振った。
「こんな糞餓鬼と一緒になんかいられるもんか。町田さんが今の俺の立場だったら、こいつを信用できますか?今までこんな調子で人を殺してきたかもしれないんですよ」
「ち、ちが―――俺、そんなの―――」
東出は目に涙をにじませた。それを見て、町田が必死な調子で言った。
「東出はマシンガンなんて持ってないじゃないか。銃だって持ってないよ」
「そんなの分からないじゃないですか!弾がなくなって捨てただけかもしれない!」
それで、町田は少し沈黙したが、ややあって、「浅井。大声上げちゃだめだよ」と言った。
それは、それまでとはちょっと違う、落ち着いた、穏やかな声だった。浅井が、虚をつかれたように口を薄く開いて、町田を見た。
東出もちょっと、おや、と思った。町田は代打の切り札としてはその存在感を存分に出しているが、普段は自分の意見を無理に通そうとはしない、他人の意見があればまずそちらを立てるような人だったのに。
町田が首を振った。
「それに、証拠もないのに疑うなんてだめだ」諭すように続けた。
「考えてみてくれよ、東出はお前を信用したからこそ話しかけようとしたかもしれないんだぞ」
「じゃあ―――」
浅井が眉を寄せた。相変わらず銃は東出に向けていたが、引き金にかかった指の緊張は随分緩んでいた。
「じゃあ、どうしろって言うんですか?」
「どうしても信用できないんなら、俺たちが東出を交代で見張ってたらいいじゃないか。つまり、今、東出にどこかに行くように言ったって、お前の不安が解消されるわけじゃないだろ。また隙を狙われるって」
東出は感心した。なかなかどうして、やるじゃないですか、町田さん。論理的だし、話しぶりも適切だ。これが年の功ってやつですかね。―――まあ、やろうとしてることの当否は別にしなくちゃいけないけど(今撃った方がいいですよ、俺をね)。
浅井が、それで、唇をちょっとなめた。
「な。俺たち、仲間を増やさなきゃだめなんだ。それで、なんとか抜け出す方法を探さなきゃ。しばらく一緒にいたら、東出が信用できるかどうかだって、分かるはずだろ?」
町田が駄目を押すように言い、浅井は、ようやく、まだ疑わしげに東出を見ていたのだけれども、頷いた。疲れたような感じで、「分かりました」と言った。
東出は、ほうっと全身の力を抜いた(ように見せた)。涙をにじませていた目を、左手でちょっと拭った。町田も、ほっと息をついたらしいのが分かった。
「そのカマを放せ」
浅井が言い、東出は慌てて放り出すようにそれを地面へ落とした。それから、落ち着きなく浅井と町田へ、視線を交互にさまよわせた。
続けて「ボディチェックするからな」と浅井が言い、銃をぴたりと向けたまま東出へ歩み寄った。
「命がけだからな」と言い、銃を持っていない左手を東出の体に軽く走らせた。ひととおり終えると、「町田さん、ベルト貸してください」と言った。
「こいつの手を縛ってもらえませんか?」
町田が浅井に非難の視線を向けたが、浅井は銃を構えたまま譲らなかった。
「それが俺の条件です。もしそれがだめだと言うなら、俺は今すぐにこいつを撃ちます」
町田が東出と浅井を交互に眺めて、唇をなめた。それで、東出は町田に「町田さん」と呼びかけた。
「構わないから、そうしてください」
町田はちょっと東出の顔を見ていたが、ややあって小さく頷くと、自分のベルトを抜き出して東出の手をとった。
「ごめんな、チビ」
浅井が、相変わらず東出に銃を向けたまま、「愛称なんかで呼ぶこたぁないんですよ」と言ったが、町田はそれは聞こえなかったように、ただ黙って、東出の手首に軽くベルトを巻きつけた。
素直に前に手を差し出したまま、東出は考えた。全く、カマを持ち上げる前に見つかったのは不幸中の幸いだった。
さて、どうしようか。

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