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陽が姿を隠し、かわりに冷たい空気があたりを支配しつつあった。大下剛史(99年ヘッドコーチ)が宮島に降り立って半日が経過しようとしている。彼はその時間の大半を、普段は観光客で賑わっているはずのフェリー乗り場の待合室で潰していた。球団事務所で受け取った資料に一通り目を通して、ゲームの現状と会場の地理をある程度把握しておきたかったのだ。フェリー乗り場のような目立つ場所に長時間いたのに誰にも見つからず過ごせたというのは、このゲームに最初から参加していてもめぐりあえないぐらいの、最大級の幸運に違いなかったであろう。もっとも、大下に気付いた選手がいたとしても、玉木重雄(背番号30)や菊地原毅(背番号13)のように、大下がゲームの主催者側にいる人間だと勘違いして、選手自身が彼に気付かれないよう逃げ出していた可能性もあったのだが。
選手を救う、達川他このゲームを動かしている無能な現首脳陣に一泡吹かせてやる―――と、意気揚々と宮島に来た大下ではあったが、むしろ半日間何もできなかった自分の無能さを痛感することとなった。正午に聞かされた達川の愉快そうな放送が、その思いを一層強くさせた。たしかに達川との仲は良くなかったが、ここまでいかれた人間だとは思ってもいなかった。本当に―――狂っている。
狂っているのは達川だけではなかった。この半日で何度銃声を聞いたことだろう。正午に名前を呼ばれた六人は、その犠牲になったに違いない。そして少なくとも一人、多くて六人、同じ釜の飯を食った仲間の命を奪った外道がこの島でまだ生き延びているのである。狂っている。そう思うしかなかった。
「寒いなあ、お前ら。ちゃんと殺しあってるか?いつもの放送だぞ。気を入れてよく聞くように」
突然島に響き渡った男の声で、大下は顔を上げた。それは昼に聞いた“定時放送”というやつだったのだが、昼のそれとは一つ明らかに異なる点があった。声の主は達川ではなかった。松原(チーフ兼打撃コーチ)だった。大下は松原にはそれ程面識はなかったし、彼がコーチになったことやその指導にも興味はなかった。ただ、わずか一年コーチをやっただけでこのゲームの運営側にいることに対して苦々しく思わざるを得なかった。―――お前はカープの何を理解して今そうやって喋っとるんや。
松原は正午から今までに鶴田泰(背番号17)、栗原健太(背番号50)、井生崇光(背番号64)の三人が死んだこと、禁止エリアが二箇所追加されること(幸いなことに大下のいるフェリー乗り場及びその周辺の住宅地は指定されなかった)、そしてもっと戦え、気が出ていない―――というお決まりの台詞を残して放送を終えた。何が「気」だ、忌々しい。
しばらくして、大下はフェリー乗り場を離れることにした。このままここに残るのであれば、資料を読めるほどの明るさは次の朝まで望めそうにもなかった。持参した防寒着だけではとてもじゃないが寒さがしのげなかったのもある。うっかり食べ物を持ってこなかったのも移動を決心させた理由に入るかもしれなかった。ただ、大下は闇雲に移動を繰り返している選手たちとは違って、ある程度次の移動先に目星を立てていた。住宅地のやや奥手に位置していたが、ここでも誰にも会わずに移動することができた。つくづく、ついているとしか言いようがない。
大下の目の前の看板を照らしている蛍光灯が、役目を終える寸前なのか、怪しげで不規則な点滅を繰り返していた。

【残り24人】

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