金本が間隙をついて、すっと上半身を起こした。ぱらららららら、とその手元から火花が噴いた。新井が頭を引っ込めると、金本は体をブロック塀の陰から出しかけた。
今度は前田のショットガンが火を噴いた。金本の体が、再びすっと消えた。ショットガンの粒弾の群れが、塀の一部を吹き飛ばした。
新井はスミスアンドウエスンのシリンダーを開き、シリンダーの真ん中についているロッドを押して、撃発で直径が膨れ上がった薬莢を排出した。薬莢の一つが銃を握った親指の腹に触れほとんど火傷しそうになったが、構わず弾を詰め直すと、再び金本のいる家の方に向き直った。
前田がもう一発撃った。また塀の一部が吹き飛んだ。新井も二、三発撃ち込んだ。
ブロック塀の向こうからすっ、と手が突き出した。手は、マシンガンを握っていた。それがぱららら、と再び吠え、新井も前田も頭を引っ込めた。
間髪入れず金本が身を起こした。銃を打ち続けながら、しなやかな動きで前へ走った。すぐに、あのトラクターの陰に走り込んだ。―――距離が詰まっていた。
前田がまた一発撃った。こちらに横腹を見せているトラクターの運転パネル部分が消失した。
「新井」
「なんだ?」
銃を構えながら、新井が森笠の呼びかけにこたえた。その呼びかけが聞こえたことでようやく自分の耳が回復してきたことも同時に悟った。
「お前、百メートル何秒だった?」
前田がまた一発撃つ。今度はトラクターのリアランプがこなごなになった。
「俺の足が遅いことぐらい聞かなくても知ってるだろ」
今度は、再度金本の腕がトラクターの陰から突き出された。ぱららら、と火花が吹いて、金本の頭が一瞬のぞいたが、新井と前田が同時に撃ち込むと、すぐに引っ込んだ。
「山へ後退するしかない。足ならそこそこ自信がある。お前は前田さんと一緒に先に山へ行け。俺が金本さんをあそこに足止めする」
前田がちらっと森笠を見た。森笠が一つ頷いてみせると、少し間をおいて森笠にショットガンを投げ滑らせた。それが、前田の了解の合図だった。
「元の場所へ帰ってこい、森笠。ササさんと会った場所だ」
それだけ言うと、新井を促して伏せたままの姿勢で後ろへ下がった。
森笠は息を吸い込み、ショットガンから三発立て続けにトラクターへ撃ち込んだ。それと同時に、前田と新井が体を起こし、もと来た方へ走り出した。二人の後ろ姿を森笠は一瞬だけ見ていた。
金本がすっとトラクターの陰から上半身を出した。森笠はまたマシンガンを立て続けに撃った。前田と新井に銃をポイントしかけていた金本は、それで頭を引っ込めた。ショットガンの弾が尽きたことが分かり、森笠はトカレフTT-30に持ち替えて、さらに撃った。八発の弾はすぐに尽きた。シグ・ザウエルに持ち替え、さらに撃った。すぐにホールド・オープンしたが、予備マガジンを押し込んでさらに撃った。打ち続けることが重要だった。
打ちながらも、横目で前田と新井が山の中に消えるのを確認した。
シグ・ザウエルがもう一度ホールド・オープンした。もう予備マガジンはない、弾を詰め替える以外に手はない―――。
その一瞬に、金本がトラクターの、今度は土を掘り返すフォークがついた前の方から腕を出した。ぱらららららら、とイングラムマシンガンが吠えた。さっきと同じだった。金本さんは走ってくる!
森笠はもう、銃撃戦に拘泥しなかった。ホールド・オープンしたシグ・ザウエルだけ握ると(運よく後ろポケットに九ミリ・ショートのバラ弾が数発分あった。まさかこれが役に立ちそうな事態に陥るなんてな)、身を翻して走り出した。遮蔽物のある山の中に入ってしまえば、金本も容易に追ってこれないと考えたのだ。さらには、森笠はほんの一瞬の判断で前田らとは逆の方向へ足を向けていた。金本を少しでも二人と引き離したかったのだ。
ダッシュ力に全てを賭けた。なぜなら、―――短い時間のうちにとにかく可能な限り遠く、金本から離れる必要があったので。マシンガンというのは弾丸のシャワーであって、近距離なら絶対に当たる銃器なので。どれだけ離れられるか、それだけが勝負だった。
森笠は走った。カープ外野手の中でもトップクラスの速さの(少なくとも金本よりは速かったと確信していた。金本はたしかに走塁技術には長けているが、「速さ」と「技術」は違う。速さなら負けない)足だけが頼りだった。
あと数メートルで木立の陰に入れると思った瞬間、背後でぱらららという音が鳴った。森笠の左脇腹に、思い切り殴られたような衝撃が跳ねた。
森笠はうめいてバランスを崩しかけたが、走るのはやめなかった。背の高い木立の列の間に走り込み、ゆるい傾斜面を、上る方へ向かって走った。また、ぱららららら、という音がして、今度は左腕が、意志とは無関係に跳ね上がった。肘のすぐ上に弾が当たったのだとわかった。
それでも森笠は走った。そのまま東へ向かいかけ、―――俺についてこれるかな、強がった発言を繰り返してもだんだん体の限界は感じてるだろう?―――突然北に方向を転じた。また背後でぱらららら、という音がした。森笠の右の細い木がぱん、と裂け、マッチ棒のような木っ端がいくつか噴き上がった。
またぱららららら、という音がした。今度は当たらなかった。いや、当たったのかもしれなかった。もうわからなかった。ただ、追ってきてるんだな、と森笠は思った。よし、これで少なくとも新井と前田さんには時間ができる。
木立がいつの間にか切れ、茂みの間を抜け、急傾斜の多い宮島の住宅地を森笠は走り続けた。誰か別のやつに狙われるかもしれないなどということは、もはや考慮していなかった。もう、どれだけ走ったかわからなかった。どっちへ向かっているかも、よくわからなかった。ぱららら、という音が、時々聞こえるような気も、聞こえないような気もした。とりあえず二人から金本を遠さけたいという義務感や、左肩、左手ときて次は選手として命ほど大事な右半身をやられるのではないかという恐怖感(選手生命のことは考えても生命自体にまで考えが及ばなかったのは、新井の間抜け振りがうつってしまったのかもしれなかった)でまともな神経をすり減らしたからかもしれなかったし、あるいは金本の手榴弾の爆発音の後遺症、耳鳴りで音の判別さえできていないのかもしれなかった。とにかく今、森笠にできることは、遠くへ―――遠くへ走ることだけだった。
ふいに森笠の右足が落ちた。いつの間にか下り坂になった細い路地を走っていて、ほんの数段の階段があったのだが、それに全く気づかなかったのだ。森笠には転倒を防ぐ体力も、気力も残っていなかった。そのまま傾斜を転がり、T字路となっていたその坂の終点にたどり着いた。
体が止まって、初めて森笠は自分の手の中にシグ・ザウエルがないことに気付いた。―――ああ、取りに行かなくちゃいけない、と森笠は立ち上がろうとし―――立ち上がれないことを悟った。左半身の出血のせいか?頭でも打ったか?いや、そんな衝撃はなかったはずだが―――気付かなかったのか?ばかだな、頭打って気付かないなんて新井ぐらいのもん―――そうだ、帰らないといけない、新井と前田さん―――が待ってるあの山で新井と前田さ―――
体が起き上がりかけた姿勢から、ぐらりと前へ傾いで、そのまま森笠は意識を失った。
【残り24人】
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