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多くの選手がいるプロ野球の世界の中でも、何が前田を名プレイヤーたらしめていたかというと、もちろんその人気や、あるいは非の打ち所のない打撃センスもあったが、何より守備の正確さ・美しさというものがあった。打球への判断のよさとそれに向かっていって、体勢を崩してでも捕りにいけるだけの体のバネ。怪我をした後は思うように走れないこともあってその評価も下がってはいたが、その中でもある程度調子が戻ってきている時などは、その能力をみせつけることがしばしばあった。そして前田はこのかすかな明かりの中でも、今、自分たちに向けて飛んできているもののスピード、方向、強さなどをあるほぼ正確に読むことができた。もちろん、この穏やかな瀬戸内のこと、竜巻じゃあるまいし、空から何かが降ってきたりはしない。そうすると、この“何か”の意味は一つしかない。
新井や森笠が前田の異常な表情を見たその時には、前田は三、四歩のダッシュを経て、高くジャンプしていた。薬を持ち歩いているほどだ、前田の足は間違いなく完全ではなかっただろうが、それでも去年だったか、達川が前田を四番に据え続けていた最中の甲子園での阪神戦、確実にセンター前に落ちると思われた打球を間一髪飛び込んでキャッチし、さらには併殺をとってみせた時のような鮮やかな動きだった。
前田の左手は空中でその打球を―――いや、飛んできた缶のような物体をキャッチした。右手に持ち替え、降下が始まった時には、体をひねって思い切り遠くへ投げ飛ばしていた。
前田が着地する前に、かっ、と白い光があたりを包んだ。
続いて、空気が膨れ上がる感じがしたかと思うと、轟音が鼓膜に乱暴な体当たりを食らわせた。前田はまだ足が着かないうちに爆風で吹き飛ばされ、土の上へごろごろ転がっていた。しかしもちろん、それが―――手榴弾が地面に落ちるのを待ってから対応していたとしたら、前田も新井も森笠も、ミンチ肉の仲間入りをしていたに違いない。その手榴弾は達川らが指揮を取る本殿に投げ入れられるのを警戒して幾分装薬量を減らしてはあったものの、人間を殺傷するには十分過ぎる能力を持っていたのだ。
新井はすぐに顔を起こした。音が全くしないのに気付いた。耳がおかしくなっているのだ。その無音状態の中で、もう一度さっきと同じような光景を見なければならなかった。もう一つ、同じような物体が飛んできたのだ。
もう一回だ、あれをどこかに―――しかし、新井が今から体を起こしたところで到底間に合うはずはなかった。
機能を失っていた耳にばん、とこれは明らかな、しかしやや小さな撃発音が届いたかと思うと、ほとんど同時にもう一度、空中で爆発が起きた。その音もいささか小さく聞こえたが、とにかく今度は、少し距離があって、新井は吹き飛ばされずに済んだ。すぐ横にいた森笠が腹這いの状態でトカレフTT-30を手にしていて、太陽にほえろよろしくそれで手榴弾を撃ち落とした、少なくとも爆発前に弾き飛ばしたのだと分かった。
「下がれ!」
前田が走りながら左手を大きく動かし、さらには後ろを何度か確認しながらその度に右手一本でショットガンを撃った。ぱらららららら、という別の銃声が聞こえ、畑の土がリズミカルに跳ね上がった。前田がまた、今度は二発続けて撃った。新井はわけもわからないまま、森笠とともに、畑を区切るあぜの陰まで走った。すぐに、前田が銃を撃ちながら横へ滑り込んできた。また撃った。ぱらららららら、という音がして眼前すぐのあぜの土が吹き飛び、砂粒がいくつか目の中へ飛び込んだ。
新井はスミスアンドウエスンを握りなおして、あぜの陰から顔を出した。前田がポイントしている方向へ、闇雲に引き金を引いた。
そして新井は見た、三十メートル弱ほど向こう、あの民家のブロック塀の切れ目、見覚えのある顔がすいと引っ込むのを。
金本知憲(背番号10)だった。そして新井は、いささか聴覚がおかしくなっているにせよ、そのぱららららら、という銃声に聞き覚えがあった。あの、高橋建と横山竜士が山裾からの説得を急にやめた時、同時に聞こえてきた銃声。もちろん、マシンガンを持っているのが一人だけとは限らない、ただ、それでも今目の前にいる金本は、何の予告もなく自分たちを殺そうとしたではないか。しかも手榴弾で!
信じられなかったが、新井は確信した―――高橋と横山を殺したのは金本だったのだ、と。
「なんで!なんで金本さんがあんなことを!」
「叫んでないで撃て!」
前田がショットガンにシェルを詰め直しながら叫ぶ。森笠はトカレフの弾が切れたらしく、それを補充する前に長谷川の持っていたシグ・ザウエルP230を撃っている。
新井はブロック塀に向かって次々に引き金を引いた。しかし弾はあっという間に切れた。瀬戸の武器だった銃(同じスミスアンドウエスンのチーフスペシャル38口径)を探す手間も惜しかった、というか、頭が真っ白でそれに気付くはずもなかった。東出がゲームに乗ったと知ってまだ間もないうちに、今度はこうやって日頃世話になりすぎている金本と撃ち合っているのである。荒波のように次々と自分を襲う信じられない事実を前に、すぐにそれを飲み込めといわれても、それは到底無理な話だった。

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