「しばらくそのままだ。近くに誰かいる」
新井も森笠も突然の言葉に慌てはしたが、言われた通りにした。体がぎりっと緊張した。前田はもう自分のショットガンを手にして人の気配がするという方向を凝視している。ようやく二人の耳にもかさっという草を踏む音が届いた。その足音は正確に三人のいる方向へと近付いてきている。前田は忌々しく唾を吐いた。
「乱射でもされたらどうにもならんな」
音はゆっくりではあるが三人へとゆっくり歩み寄ってくる。新井は両手にじっとりと嫌な汗をかいているのに気がついたが、それを拭く余裕さえなかった。前田が言ったように、ここで俺たちは終わりなのか―――。
「佐々岡だ」
足音の方向から聞きなれた声がした。さらに続いた。
「戦う気はない。返事をしてくれ。三人とも、一体、誰なんだ?」
それは、まぎれもなくあの佐々岡真司(背番号18)の声だった。新井にとっては「戦う気はない」という言葉は願ってもないものだった。それは新井たちも同じだったからだ。さらには、そのような選手に会えるとは思ってもいなかった。森笠と顔を見合わせた。森笠も安堵した表情を見せていた。それですぐに腰を上げようとした新井を、前田が制した。
「どうしたんですか?」
「静かにしろ」
新井はその前田の真剣な表情を覗き込み、大げさに肩をすくめて笑んだ。
「大丈夫ですって。佐々岡さんですよ?信用できるじゃないですか」
しかし、前田は首を振って、言った。
「なんでササさんは、俺たちが三人だとわかったんだ?」
それで、新井も森笠も初めてそのことに気付いた。前田の顔を見ながら、考えた。―――わからなかった。
わからなかったが、しかし、今佐々岡がすぐ近くにいるという事実の前では、そんなことはどうでもいいような気がした。とにかく、早く佐々岡の顔が見たかった。
「さっきここに俺たちが隠れるのを見てたんじゃないですか?それで、誰かまではわからなかったんじゃ…」
「さっきっていつだ?なんで今頃ここに来るんだ?」
新井はまたちょっと考えた。
「誰か確かめるのを決心するのに時間がかかったんじゃないですか、きっと―――とにかく、佐々岡さんなら信用できますって、心配ないですよ」
なお何か言いたげな前田を無視し(きっと森笠は横でヒヤヒヤしていたに違いない)、新井は藪と岩の中から立ち上がった。
「新井か」
新井の姿を確認した佐々岡が、安堵した声を漏らす。
「他には誰がいるんだ?」
「それは―――」
と言いかけると同時に前田も立ち上がった。
「ササさん、信用してないわけじゃないんですが、ボディチェックさせて下さい。とりあえず頼みます」
「前田さ―――」
新井は非難する口調で言いかけたが、すぐに、佐々岡の「わかった」という声がした。佐々岡が地面にデイパックを置き手を上げるのを見て、前田が軽く全身をチェックする。佐々岡のユニフォームは、その右半分にところどころ血がついている。しかし、佐々岡自身が怪我をしているというわけではなさそうだ。
「ポケットの中身、いいですか?」
前田がやや不思議そうに尋ねた。佐々岡は軽く両手を挙げたまま、「いいけど、取り上げないでくれよ」と言った。
前田がそれを引っ張り出した。分厚い手帳みたいなサイズを形の代物だったが、材質はプラスチックかスチールのようだった。片面を覆う滑らかなパネルが、そろそろ傾きかけようとする日の光を反射していた。前田はそれをしばらくひねくった後、「これか」と言った。持ったままちょっと体を動かし、パネル部分をもう一度見つめた。頷いて、「ありがとうございます」とだけ言うと佐々岡へそれを返した。
「それで三人と分かったんですか」
「―――ああ、もしかしてそれが引っかかってたのか」
「ちょっと―――とりあえず隠れましょうや」
それは佐々岡に向けられた言葉だったのだが、同時に新井にも座るよう顎で指示を出した。ともかく、前田の警戒心が多少なりとも解けたことで、新井も安心し座りなおした。しかし佐々岡はその場で新井と、そして藪の中で座りっぱなしだった森笠を視界に認めると、軽く笑みを浮かべて前田の方を向いた。前田が不思議そうに見つめ返すのを見て、佐々岡が「いや―――」と言った。
「いささか奇抜な組み合わせだと、思っただけだよ」
前田がそれに応えてにやっと笑った。
「ガキのお守り(おもり)ですよ、お守り」
「そういう役回りが得意だとは思わんかったがのう。こいつのお守り役はカネやろ」
「見つかれば押し付けますよ」
なんと酷い言い様!新井はちょっとむっとせずにはいられなかったが、先輩選手にからかわれるのが日課といってもいい存在となってしまった新井にとっては仕方のないことだ。森笠は新井の横で前田と佐々岡の会話を聞き、にやついている。
「お守りなら最後までちゃんと守ってやれよ。俺はちょっと用がある」
「用?」
前田は眉をひそめた。「こんなゲームで何の用事が―――」
佐々岡はそれには答えず、逆に前田に「ずっと三人一緒だったんか?」と訊いた。前田はどう説明するか、ちょっと考えたような表情だったが、うまい言葉が見当たらなかったのか、新井と森笠に「説明頼む」と言った。新井と森笠は顔を見合わせたが、あっさりどちらが説明するかは決まったようだ。口を開いたのは新井だった。
「最初から一緒だったのは俺と森笠です。それで―――」
それで、昨日のことを思い出した。廣瀬純(背番号26)の割れた頭が久々に鮮やかに脳裏に蘇って、あらためてぞっとした。
「―――とにかくいろいろあって、前田さんと合流したんです」
「よくわからん説明だったけど、何となく大変だったというのはわかった」
佐々岡が苦笑交じりに答え、それから、言った。
「前田、西山を見なかったか?」
「ニシさん?」
前田は聞き返した。なぜここで西山秀二(背番号32)なのかと、三人とも思ったに違いない。
「いや、見てないです」
「そっか」
西山がこの島にいるのは間違いない。定時放送でまだ名前が読み上げられていない以上、生きているはずだ。そう―――正午以降これまでに死んでいなければ。
「ならいい。ありがとうな。俺、行くわ」
言うと、佐々岡は三人に背中を向けかけた。 【残り24人】
|