「前田さん、これ」
そう言って森笠が差し出した右手には一錠ずつ梱包された鎮痛剤―――
「あほ、持っとけと言うたろうが」
「けど、前田さんの薬だし、僕の方はもう大丈夫ですから」
「わしの薬が飲めんと言うんか?」
「そういうわけでは…」
しどろもどろになる森笠を見て、前田が苦笑する。
「冗談ぐらいすぐ気付け。これから何があるかわからんじゃろう?俺とお前らが離れて行動することになるかもしれん。全ての事態を考えろ。だから、それはお前が持っとけ」
言いくるめられるように森笠は前田に返そうとした鎮痛剤をポケットにねじ込んだ。長谷川と鶴田の銃撃戦以来、三人はその数十メートル先、大きな岩がそこかしこにある藪の中に身を潜めていた。ついさっきもこの山の中で一発の銃声が響いたばかりだった。威嚇射撃なのか、一発で誰かを殺したのか―――どちらにしても安易に発砲する人間が近くにいる限り、迂闊には歩き回れなかった。
「前田さん」
今度は新井が口を開いた。長谷川の一件で罪悪感を感じていたのか、この場所に身を潜めてから新井はほとんど無言のままだった。面倒そうに前田が新井の方を向いた。
「さっきからずっと考えてたんですけど、結局カープを潰すために僕らこんなことさせられてる、ってことでいいんですよね?」
なんだ、またその話か―――と前田の表情は呟いていたのだが、あえて言葉にはせず一つ唾を吐いて答えた。
「やっと理解したか。お前、そんな鈍い思考力だけでよう会計なんかやっとったのう」
「でも最低でも一人は生き残るんですよね?その生き残った人ってどうなるんですか?」
「そんなもん、わしが知るか」
それもそうだ、前田さんだってこんなゲームに参加するのは初めてなんだろうし―――と思い直して、新井はつくづく自分の間抜けさを反省した。
「―――ただ」
予想外に前田が言葉を続ける。
「殺されはしない。それなりの待遇は受けられるはずだ。何しろ、前例がある」
一瞬、新井も森笠も“ゼンレイ”という言葉を頭の中で漢字変換できずにいたが、それでも何とかその言葉の意味を飲み込めたようだ。二人とも疑いの目で前田を見つめる。
「わしも村上のおやじさんに聞いたことがあるだけだ。しかも向こうは酔うとったけえ、その時は『何言うとんじゃ、このおっさんは』と思って聞き逃しとったんだが」
村上のおやじさん―――九州地区担当スカウト、村上スカウトのことだ。新井や森笠は直接世話にはなっていなかったが、あの前田が頭の上がらない人間の一人だった。
「まだ樽募金とか―――そういう頃に一度こういうゲームをやったらしい。あの頃は戦力もろくなもんじゃなかったし、戦後のどさくさもあって適当な理由で選手の存在自体もみ消すことは可能だったらしいが、今のように全ての選手に簡単に連絡のとれるような時代じゃない。とりあえず集められた選手だけで殺りおうたんだが、不参加者の方が多いという事態になってしもうたらしい。それが命取りになって球団は存続。ゲームで生き残ったのも当時の重要な戦力じゃったけえ、おかげでカープが今まで存在しとるということになるらしいが」
「それじゃあ、もしかしてその時の生き残りってのは…」
「まだ広島で元気にやっとるな。それは―――」
と言いかけて前田は言葉を止めた。息を飲み前田を見つめる新井と森笠の異常な様子に、それ以上語るのがためらわれたのだ。前田はもう一度唾を吐き、ささやかな笑みを作ってみせた。
「やめとこう。もしお前らが広島に戻ったときに、何かやりかねんからな」
「そんな―――」
「それと」
森笠の言葉を前田がさえぎる。
「こういう話はここを出るまでやめだ。昔話や思い込みを語ったところで、どうにもならんことぐらい分かっとろう?これからどうするかを考えなければ、俺もお前らもこの島でお陀仏だ」
確かにそうだった。特に新井は考えるより先に行動に出てしまう。木村拓也(背番号0)の時はそれで最期を見とれたわけだが、先刻の銃撃戦などは自分たちが巻き込まれていてもおかしくはなかった。とっさの行動というのは、何が起こるかわからない分リスクも大きいのだ。
「でも、前田さんは何か行動を起こすつもりなんてないんでしょう?」
「そろそろ分かってきたな。むざむざ出て行って変なことに巻き込まれたくはな―――」
突然前田が言葉を切った。二、三あたりを伺うと、新井と森笠に頭を下げるようジェスチャーし、そして声にならない小声で言った。
「しばらくこのままだ。近くに誰かいる」 【残り24人】
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