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厳島神社の平舞台を満潮の海水が囲み、その上では達川光男(全監督)が広島へ自分を運ぶ船を待っていた。そう時間もたたないうちに、視界に小型の船が入ってくる。それを確認して、達川はちらりと後ろを振り返った。厳島神社の後ろに聳え立つ弥山、そこでは自分の指揮に従って二年間のペナントを戦ってきた選手が、自分の生命をかけて戦っている。残った選手はそう多くはない。突然の出来事に屈さなければならなかった男たちは、最後に自分に対してどのような感情を抱いて死んでいったのか。
達川は、ふっと、それこそほんの一瞬だけ笑みを浮かべた。―――何を傷心的になっとるんじゃろうかのう、わしは。恨むならわしを恨め。わしもこの指揮をとらなければ、お前らと同じ運命にあったんじゃ。仕方なかろうが。そうだ、わしはこのゲームじゃただの操り人形じゃけえのう。本当の黒幕はな、黒幕は―――。
ドッドッドッというエンジンの音に達川はふと我に返った。遠くにいたはずの船が既に目の前にあった。ふう、と一息つくと達川は足元の荷物を持とうと屈んだのだが。
「荷物はとらなくても結構ですよ」
えっ、と驚きの声をあげそうになって屈んだまま声のほうを向いた。船から下りてきたのは一人の男。穏やかな笑みと知的な表情を浮かべるその男は、紛れもない。三村敏之(元監督)だった。
「上のほうからの命令です。マスターズリーグは私とともに欠場しろと」
「それは本当なんか?わしは一言も聞いとらんぞ」
「そりゃ、聞いてたら私がここに来るまでもない。本当は私がここに来るはずではなかったんだけどね」
「………?」
「そういえば、死亡者リストを見せていただきましたよ。妥当な結果が出ているみたいだが」
船から降りてきた時と変わらない笑みを浮かべたまま、三村は話題を変えた。
「私はねえ、岡上に期待しているんだ。あれは技術と精神力を磨けば、それこそ現役時代の私以上の成績は残せるはずだ。それだけ面白い。私が監督だった時代にあの選手がいたら間違いなく使っていただろう。どうせ死ぬんだし」
「“どうせ”?」
「お前が監督になった最初の年、大野が投手コーチだったのは覚えてるだろう?自分のことだから」
三村が何を意図として話をすすめているのか、達川には全く分からない。どうせ?大野?一体何の関係があるというのか。
「あの時投手起用を全部大野にまかせてたと聞いて、私にはピンとくるものがあったんでね。あの時は周りからはものすごい批判の浴びようだった。特に調子のよい投手を次から次に使っていく様は」
「それはわしの甲斐性の無さも…」
「はは、それも多分にある。しかし、あの時既に大野は知っていたんだよ」
変わらない笑み。しかし、やっと達川は気づいたのだ。三村の目は決して笑っていないということに。
「このゲームが行われることを」
「まさか!そんなことはなかろう?」
達川は声を荒げた。しかし、三村の表情は一向に変わらない。それどころか、声をあげて笑い出した。
「ははは、まさか、か。じゃあ、もっといい事を教えてやろう。私が監督最後の年、それまでロクに使わなかった横山と新人の幹英を登板させ続けたな。あれも計算づくだったんだよ」
いまだ笑いがこらえられないといった様子で語る三村とは対照的に、達川には焦りとも怒りともとれる態度がわらわらと表れていた。
「まさか…」
「そのまさかだよ。あの時点で私もゲームの存在を知っていた」
後頭部を勢いよく殴られたかのような衝撃を達川は受けた。何年も前から既にカープは動いていたのだ―――球団消滅の為に!
「だいたい自分でおかしいと思わなかったのかね。いくらなんでも一軍の監督を任されるのは早いだろう。球団も全て計算していたんだよ。このゲームの“表向きの指揮者”には誰が一番適任なのかさえも」
「ほいじゃあ、もしかしてこの計画は…」
「ええ、これは私が監督を引き受けるもっと前に決定していたこと。ただ、当時のカープにはそれなりの強さというものがあったから、それを落とすのに意外と苦労したよ。まあ、横山と幹英の使い方はもっと別の理由があったんだが」
「別…?」
「大野が高橋をフル活用した理由もきっと一緒だろうね。目の前にいる選手はほとんど全て死ぬことが決まっているんだ―――中にはゲームの前にこの世界から消えていくのもいるのだろうが。その中に一番の旬を迎えようという選手がいる」
三村が浮かべていた今までの穏やかな表情が初めて崩れた。笑みにはかわりなかったのだが、何か別人のような、とても醜く、邪心さえ読み取れるようなそれだった。
「旬を味わいたいのは、食べ物でも選手でも同じことだ」
この人は―――べっとりと脂汗をかいた手のひらを達川がぎゅっと握り締めた。ゲームとはここまで壮大なものなのか?もしかしてこのゲームが終わったあと、わしは―――。
「しかし、いい加減立ち話もなんだから、指揮を取っている場所に案内して頂きたい」
いつの間にか表情を戻した三村が促した。達川がちょっと躊躇した態度を見のがさず、三村は言葉を続けた。
「本当は私ではなく大野がくるはずだったんだ。稲尾が『投げさせる』なんてマスコミに公言したばっかりに大野は来られなくなってしまったが」
「じゃあ、本当に大野は…」
「当たり前だ。全て知っとる。この計画を前から知っていたOBしかマスターズリーグにも推薦してないんだよ、球団は」
またしても知らされていない事実。カープのOBでは大野の他にも安仁屋宗八、外木場義郎、高橋慶彦などそうそうたるメンバーが出場していたが、本当に彼らも全て知っていたのか?
達川の心のうちでも読んだのだろうか、一言だけ三村が付け加えた。
「まあ、例外はお前ぐらいのもんだったんだ」

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