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弥山の西の中腹、高木低木生い茂った斜面の一角に腰を下ろしたその男は、ずっとその視界にいる男だけを追い続けていた。何せ目の前で自分の友人を殺されてしまったのだから、そいつに。せっかく狙っていた自分の友人たちを。―――ま、貴方がかわりになってくれるんなら別にいいんですけど。
彼が広島東洋カープに入って一年近くがたとうとしていたが、彼の秘密を知るものはまだいなかった。野球選手とは思えないほど極端に身だしなみに気を遣うその様子は、仲間内でも半ばからかいの対象になっていたが、しかし、その正確な理由は誰にも知られていなかった。チーム内でも一、二を争える愛嬌のある顔をした男―――石橋尚登(背番号65)はとにかく――――

オカマだったのだ。

位置関係を言うなら、そこは木村拓也が栗原に銃殺されたあの滝から西に百メートル程の所にあった。ここまでに彼は否応なしに田村恵の死体、そして高橋建や横山竜士の死体も見せつけられていた。金本が殺したわけではないが、行きずりで黒田博樹の死体まで見た。そう、結局はかれこれ八体もの死体を見せられていた。オカマと言えども立派な男性、死体を見たところで恐怖など全く感じなかった。―――黒田さんと高橋さんはイイ男だったから、ちょっと惜しかったかしら。
石橋が今見下ろしている茂みの中には、ゲーム開始以来既に七人を片付けた、あの金本知憲(背番号10)がいた。もう一時間以上、そこから動いていなかった。
か・ね・も・と・さ・ん。ね・ちゃ・っ・た・の?
石橋は薄い唇を歪めてにっと笑った。―――不用心じゃないの?まあ、さすがの貴方もアタシみたいな下っ端がここで貴方を見張ってるなんて思わないでしょうけどね。
そう、石橋はデイパックを受け取り厳島神社を出た後、まっすぐ約束の場所へ向かった。林を抜ける直前、長崎元と誰かが話しているのを見て、駆け出そうとしたその時に、その“誰か”の銃が火を噴いたのである。長崎の倒れた近くには他の選手の死体も見えた。きっと約束を交わしていた四人は皆殺されたのだろう。
その後、その場を離れて歩き出した金本の後をつけ始めるまでに(多少それまで時間があったから、もしかしたら金本さんはアタシを待っていたのかもしれない。あのね、アタシはそんなに馬鹿じゃないわよ)既に石橋はそれからの行動方針を決定していた。
このゲームで最後まで生き残る選手を選べといわれたら、石橋はまず真っ先に金本を挙げたであろう(勿論他にも候補はいたが、何より皆、致命的な怪我持ちであるというところが減点対象だった)。そしてその思いは、金本がこのゲームに乗ったのを確認したことで、ますます強くなった。おまけに、少なくともマシンガン(これは一体、金本の武器だったのか、それとも、長崎以外の三人のうちの誰かの武器だったのか?)と、長崎の持っていた拳銃を手にしていた。恐らく、正面からぶつかっては誰も金本に勝てないだろう、と思えた。
石橋は、顔に似合わず(というのは失礼な表現だが)俊敏な男だった。足も速くて、それが村上スカウトの目にもとまったのだが、その他にもどこかに忍び入ったり、万引きしたり(若気の至りよ)、果ては尾行まで(好みの男の子を見つけるとストーカーしまくった)できた。加えて、石橋のデイパックの中から出てきた武器は、ハイスタンダードの二二口径二連発デリンジャーだった。カードリッジはマグナムだから恐らく至近距離なら致命傷を与えることは出来るが、撃ち合いに向く銃ではない。そこで石橋は考えた。たとえ金本がこのまま最後まで生き残るとしても、その過程のうちには必ずや誰か匹敵する相手―――多分、あの前田智徳とか(あんなオーラを持つ人が普通の女と結婚しちゃうなんてとても残念だったわ)、あるいはずる賢そうな印象でいけば東出輝裕(そうね、あのクールさが好みなのよ)とか―――とやり合い、多少の手傷を負うに違いない。そして、その戦闘の疲労も蓄積されるに違いない、と。だったら―――アタシは最後まで金本さんを追っていって、最後の最後に金本さんを後ろから撃ってやればいいんじゃない?金本さんが最後の誰かをやっつけて気を抜いたまさにその瞬間に、このデリンジャーで。まさか金本さんだって、自分自身が追われてることとは思いもしないでしょ?コトに最初の集合に来なかったこのアタシが追っているなんて。
同時にそれは、チームメイトを次々に殺さねばならないというこのゲームで、自分が手を汚さずに済む方法でもあった。この点、石橋の倫理観が強かったというわけではなく、ただ、面倒なだけだったのだ。―――だって、誰かを殺してる隙をつかれて別の誰かに殺されたらただのアホじゃない。誰かを殺すのは金本さん、アタシはただ金本さんの後を追っていくだけ。ま、最後は言わば正当防衛で金本さんを殺すんだけど。だって、金本さんを殺さないとアタシが殺されちゃうんだもの―――といった具合に。
また、金本を尾けていくことには別のメリットもあった。例の“禁止エリア”とやらの問題だった。金本も当然それは考えに入れているだろうし、多少距離をとってくっついていけば、エリアにかかる恐れはないと判断した。もし不安でも、止まったところで地図をチェックしてエリアに入っていないことを確認すればいい。
そして、事態は石橋の考えたとおりに進んでいた。金本は西松原を離れると、南の道路に沿って移動し始めた。途中、その道沿いの民家二、三件に入り(きっと何か必要なものを手に入れたのね。結構マメなんだから)、途中の寺で田村恵の姿を発見した。後ろからあっさり田村を殺してしまうと、また南へむかい山に入った。日も落ちようとする頃に、高橋建と横山竜士がすぐ近くの公園からマイクで呼びかけを始めると即座に動き出し、結局誰もその呼びかけに答えないのを確かめた後(そういえばあの時、別の銃声がした。あれはどうも、高橋と横山に呼びかけを停止し隠れるよう促したのだと思えた。あら、すごい、こんな中でも人道的な選手がいるんだわ、と石橋は感動した。感動しただけだったが)、二人を撃ち殺した。そしてそのあと再び山へ入った。それからは寝てしまったのか移動する事もなく一夜を明かした(ここで寝首を掻いてもよかったが、一度決めた予定を変更するのも馬鹿馬鹿しかったので、石橋も大人しくしておいた)。明け方に一発の銃声が響いて、金本も反応を示したがそれは見送った。それで、これはつい先ほど、それ程遠くはないと思われる距離で銃声が聞こえると、今度は動き出した。しかし銃声を追った金本が見たのは(従って石橋が見たのは)、木を背もたれにして座っているように死んでいる黒田博樹だった(黒田を殺した選手か、あるいは第三者がそうしたのだろう。なにせ背中に銃弾を受けていたのだから)。金本は黒田の荷物を探していたのだろうか、しばらくあたりを見回していたが、どうやら荷物は誰かに持ち去られた後のようだった。そしてそのあとまた少し動いて―――
今、ここ、自分のすぐ下の茂みの中に金本はいるのである。
金本の作戦は単純なようだった、少なくとも今のところ。誰かの所在がわかったら、駆けつけて弾をばらまく。高橋建と横山竜士を殺した容赦のないやり口にはいささか呆れもしたが(全く金本さんって武闘派というか肉体馬鹿というか、やることが無茶苦茶なんだから。アタシみたいに頭を使わないと、脳味噌まで筋肉になっちゃうわよ)、しかし、そんなことにケチをつけてもはじまらない。とにかく今は、金本が自分の存在に全く気づいていないという事に満足すべきなんだろう。金本の行動に逐一注意しないといけないせいで、石橋は一睡も出来なかったが、二、三日の徹夜くらいどうってことなかった。金本と比べても十は若いし、男よりオンナの方が基礎体力があるらしいので。ものの本によるとだが、まあとにかく。
ふと視界の端、眼下の茂みがちらっと揺れた。石橋は慌ててデリンジャーをつかみ出し、デイパックを左手にとった。茂みの端から、金本の頭が現れた。ゆっくりと左右に視線を走らせ、それから、東の方角―――ちょうど石橋の左手、斜面の上―――に目を向けた。銃声がしたわけではない。物音がしたわけでもない。金本が見ているほうに、一体何があるのだろう?石橋も同じ方向に視線を飛ばしたが、特にそこに動きがあるわけでもなかった。
金本はすっと茂みから全身を出した。左肩にデイパックをひっかけ、右肩にはマシンガンを吊って、そのグリップを握っている。木々の間を縫うように、斜面を登り始めた。すぐに石橋のいる高さまで至り、さらに上へ向かった。それで、石橋は自分も身を起こすと、後を追い始めた。
石橋の動きは、百七十六センチの体に似合わず猫のようにしなやかだった。木々の間にちらちらとのぞける金本のユニフォームから、ぴったり二十メートルの距離を保っていた。この点、確かに石橋にはそれなりの運動能力があったのだと見てとっていいだろう。そして、前を行く金本の動きもまた、正確で迅速だった。時々木の陰に立ちどまっては前方を伺い、深い茂みのあるところでは、地面に膝をついてその下を確かめてから進んでいた。ただし―――
背中ががら空きだわ、金本さん。
そのまま百メートルばかり進んだだろうか。ふと、金本が足を止めた。金本の前方で木々の列が途切れ、未舗装の細い道が横切っていた。―――これは、登山道。さっきも横切ったわ、黒田さんの死体を見る前に。
そして、今金本が目を向けている右手の方、そこはちょうど山頂までの道のりの休憩所というようなことなのか、ちょっとした広場になっており、一脚のベンチとともにベージュ色のプレハブトイレが備え付けてあった。金本は辺りを見回し、さらに石橋のいる背後にも目を向けたが、石橋はもちろん、既に茂みの陰に身を隠していた。それで、金本はすっと道の方に出ると、そのトイレに駆け寄った。ちょうど石橋の方を向いている扉を開くと、そこに入った。また辺りを確かめ、静かにドアを閉じた。何かあった時にすぐ逃げられるようにという事なのか、完全には閉め切らず、わずかに隙間を空けていた。
それを見ているうちに石橋は何だかおかしくなって、相変らず身を低くしたままではあったが、笑いを噛み殺さなくてはならなかった。確かに、石橋がずっと金本を追っていたその間中、金本が用をたした場面はなかった。あるいは、高橋と横山を殺す前に入った家でトイレを借りたのかという推測も立ったが、まあ、どっちにしてもまるまる一日我慢できるようなものじゃない。多分、じっと茂みの中に身を潜めている間に済ませているのだろうと思っていた(石橋はそうした。音を立てないのに苦労したが)。しかし、そうではなかったのだ。―――わざわざ用を足すのにきちんとしたトイレを探すなんて、とても金本さんらしくないですね、湯布院キャンプでは毎年半ケツを披露しているのに。
すぐに、水が便器を叩いているのだろう、ぱらぱらという音が石橋の耳に届いてきた。それで石橋は、また笑いを噛み殺さずにはいられなかった。―――ねえ、雅人。貴方を殺したのはこんなに面白い人だったのよ。
石橋の脳裏には、金本に殺された仲間の姿がよみがえっていた。特に同い年の甲斐雅人(背番号57)―――飯を食うのも、練習するのも、寮の部屋でゲームしたりマンガを読んだり、何をするのも一緒だった彼はもうこの世にはいない。そのことは石橋を悲しみのどん底に突き落とすのに十分だった。なぜならば、甲斐こそが石橋の人生の伴侶(どちらがどちらであるかはこの際放っておくとして)だと、石橋本人は確信していたのだ。―――ああ、こんなことになるって分かってたんだったら、アタシも雅人もプロには入らなかったわよね。なんだか「どっちが先に一軍に上がるか」なんて話してたのが馬鹿みたいだわ。初めて出会った九州大会に戻りたい。
石橋と甲斐は二年前、秋の九州大会で対戦していた。二人が顔を合わせたのは二回戦だった。先制は高鍋、初回に飛び出した甲斐のツーラン。しかし波佐見もその裏に逆転、その後はシーソーゲームになった。試合を決めたのは石橋自身のスリーラン、投手は三回からマウンドに上がっていた甲斐だった。結構大きなホームランでそれ自体の思い出もあったが、何より打たれた甲斐のうなだれる姿が石橋にはとても華麗で素敵に見えたのである。その姿を忘れることはなく、ドラフトで甲斐と同じチームに入団できると知った時にはどれほど喜んだことか。入団して多少打ち解けた頃に(石橋のオトメゴコロでは話しかけるのも精一杯なのであった)九州大会の話をしたら「打たせてやったんだよ」なんてとぼけてたけど(センバツをかけた試合でそんなことするわけないじゃない)。そんな幸せな日々が二度と帰ってこないと思うだけで石橋の胸は潰れそうになるのだった。
ぱらぱらという音はまだ続いていた。石橋はまた小さく笑みを浮かべた。―――随分我慢してたのね、金本さん。長く続くその音を聞いていて、石橋の心がちょっとだけ揺れた。
―――もしかしたら、金本さんはアタシが尾けていたのに気づいてた?用を足しながらも、もしかしたらあの中でこれからのことを考えてるの?いいえ、まさか。これだけ長いのはずっと我慢してたからでしょ。だいたいアタシに気づいてたら、あんなに背中をがら空きにして移動したりなんかしないわよ。
「ねえ、背中がら空きだよ」
―――そうそう、背中がら空きなんかでね。
と納得しかけて、一気に血の気が引いた。その声の主を知ろうと石橋は慌てて振り返ったのだが、その視線の先には銃口があった。目の前でいきなり何かが爆発して、石橋の顔はちょうど目の間のあたりから破裂した。銃弾の勢いで後ろに弧を描きながら、いろんなものが飛び散った。もちろん、即死だった。
「金本さんが逃げたの、見てなかったの?」
顔が形をなしていない目の前の死体に向けて、東出輝裕(背番号2)は冷たく言い放った。
その死体をまたいで、トイレのドアを開けた。そのトイレの中、天井から水の入ったボトルがひもで吊り下げられていて、吹き込んだ風によってゆらゆらと揺れた。恐らくナイフか何かで穴をあけたものだったのだろう、そのボトルから細い水の線が落ち、ボトルの動きに合わせて、ぱたぱたっ、ぱたぱたっ、と音がしていた。
―――金本さんは要注意だな、意外に頭脳派というか。まあ、さすがスタープレーヤーってとこか。
銃声をあげてしまったのでは、誰かがやってくるかもしれない。東出はそれだけを確認すると、再び藪の中へ入って行った。  

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