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反射的に駆け出した後、新井は四方に目を配りながら斜面を上がった。目の前は深い藪に覆われていたが、それをかきわけ進んだ。そうしているうちにも銃声は交錯していた。
上り勾配の斜面が急に行き止まりを迎えて、その先を見た。斜面の下には川が流れていて、その向こうの藪に隠れるように、鶴田泰(背番号17)が姿勢を低くしていた。そしてその鶴田がうかがっているのは、川を挟んだ先の茂み(つまりは新井と地続きなのだが)、華奢なユニフォーム姿が見え、それが長谷川昌幸(背番号19)だとわかった。もちろん、二人とも銃を手にしていた。二人の距離は、川を挟んで十メートルもないだろうか。どういう状況で撃ち合いになったのかはわからなかった。しかし、この光景をただ指をくわえて見ているわけにはいかなかった。少なくとも、これをやめさせなければ。
そうして状況を見て取っているうちにも、長谷川が鶴田に向けて一発撃った。何だか、子供が水鉄砲で遊んでいるような手つきだったが、それが水鉄砲ではない証拠に銃発音が響き、真鍮の小さな薬莢が空に舞った。鶴田が二発続けて撃ち返した。こちらの方は随分堂にいった撃ち方で、薬莢は飛ばなかった。一発が長谷川の近くにあった木に当たり、乾いた木皮がくずとなって上がった。長谷川が慌てて頭を引っ込めた。
新井の位置から鶴田のほぼ全身が見えており、鶴田がリボルバーのシリンダーを開き、空薬莢を排出するのが見えた。それで、鶴田の左手が真っ赤に染まっているのがわかった。腕のどこかを長谷川に撃たれたのかもしれない。その手で、しかし、かなり素早い動作で新しい弾を詰め直した。また長谷川の方へ身構えた。
それもこれもわずか数瞬の事だったが、新井は行動を起こす前に、悪夢を見ているような感覚に襲われた。長谷川は今年やっと花開いたピッチャーで(阪神戦には強いな、と北別府コーチから半ばからかいともとれる言葉ももらっていたが)九勝をあげていた。一方の鶴田は紀藤真琴(現中日)とのトレードでカープにやってきて、途中怪我はあったものの要所要所の試合でナイスピッチを見せていた。二人とも来年も先発ローテを期待されていた投手なのだ。その二人が撃ち合っている。真剣に、それも実弾でだ。当たり前だが。
―――そんなことを悠長に考えている場合じゃない。
新井は脚に力をこめて立ち上がると、空に向けてスミスアンドウエスンを一発撃った。なんだが西部劇に出てくる保安官みたいだな、とちらっと思い、しかし間髪いれずに叫んだ。
「やめてください!」
鶴田と長谷川がぎくっと凝固し、同じタイミングで新井の方を振り返った。新井はその二人の顔を見ながら続けた。
「撃ち合いなんかしないでください!俺は前田さんと森笠と一緒にいるんです!信用してください!!」
なんと陳腐な台詞だろう。しかし今の新井にはそこまで考えている余裕はなかった。
すぐに新井から視線をはずし動かしたのは鶴田の方だった。再び、相対する長谷川へと。そして―――長谷川はぼんやり突っ立って、新井の方を見ていた。新井はその一瞬に気づいた。長谷川の体は半分茂みから露出し、がら空きだった。完全にノーガードになった長谷川に向けて、鶴田が銃を構え、撃った。二発続けて。
一発目が長谷川の右の肩口に当たり、長谷川の体がくるっと右に半回転した。二発目が半回転したことによって鶴田のほうを向いたその左胸をとらえた。新井は見た、長谷川のその胸から噴水かなにかのごとく赤い血が勢いよく噴き出るのを。長谷川は茂みの中へどっと崩れ落ちた。鶴田はちらっと新井を見やり、すぐに身を翻すと川とは反対の方へ走り出した。茂みに飛び込み、新井の視界から消えた。
「―――くそ!」
新井はのどの奥からうめき、迷った後、長谷川の倒れた茂みへと走った。長谷川は茂みの中仰向けに倒れていた。自分の手で左手の傷口をおさえていたが、血は止まることなく流れ、長谷川の左手も赤ペンキの缶につっこんだように赤い液体にまみれていた。新井はかけよったが、もう虫の息だった。
半開きの目で新井の姿を確認した長谷川が「倉…さんが…」と呟いた。聞き取ることが出来ないようなか細い声で。
「倉さんがどうした?」
新井は必死に長谷川に問いかけたが、長谷川からの答えは返ってこなかった。ふうっと一つ息を吐いて、そのまま息絶えた。
新井はぶるぶる震えていた。真っ白になった頭の中で何度も反芻していた。もう長谷川は起き上がることはないのだ。あのマウンドにのぼる事もできないのだ。俺がもう少しうまいやり方をしていたら、長谷川は死なずにすんだんじゃないのか?
新井の後のついて様子を見にきたのか、茂みの中から前田と森笠が顔を出していた。新井の膝元で死んでいる長谷川を見て「だから言っただろ」と言いたそうな表情を前田は見せたが、しかし、何も言わなかった。ただ、冷静にも長谷川の銃とデイパックを拾い上げ、それから思いついたように腰を屈めて右手の小指側で長谷川のまぶたを伏せさせると、「行くぞ。早くしろ」とだけ告げた。
新井はその場を動くことが出来なかったが、長谷川の最期の言葉を繰り返すように、「倉さんが」と呟いた。
「倉さんがどうかしたんか?」
「長谷川さんが最期に言った。倉さんが、って」
森笠と新井のやり取りを聞いていた前田がまた一つ舌打ちをすると、デイパックをその場に放り出し辺りを見回し始めた。茂みに一通り目を通した後で、川へ出てすぐ「森笠」と呼んだ。
森笠が慌てて前田のもとへ行くと、前田が川下を見るようあごで促した。視線をやると川下の岩の上に誰かが倒れこんでいる。間違いない、背番号でわかった。倉だ。
「あれ、とってこい」
「僕がですか?」
「わしゃ脚が痛いんじゃ」
睨まれながらそう言われて、誰が断ることが出来ようか。川を駆け下り倉の死体を抱きかかえると、また駆け上った。重力に逆らうことのないその死体は思ったより重かった。前田の横を通り過ぎるとき、横で声がした。
「長谷川と一緒においといてやれ」
倉の死体を抱えた森笠を見て、ようやく新井は長谷川の言わんとすることを理解した。長谷川の横に寝かされた倉の胸の部分は背中側よりも大きな穴が開いていた。二人の死体を目前にしてからも新井は言葉が出なかった。―――長谷川さんはこの目で見たからともかく、倉さんまでも鶴田さんは殺めてしまったのか?
「行こう。いい加減危ない」
前田が再び長谷川のデイパックを手に取った。

【残り28人】

 

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