「何じゃ?誰もおらんじゃないか」
ぶつぶつと不機嫌そうに独り言を呟き、大下剛史は歩いていた。この宮島に選手たちが集められているという話が嘘だと思えるほど、周囲は静まり返っている。もちろん、人の気配がないというのは普通の街並みとしてもおかしい光景ではあるのだが。
実は大下が歩いている道に面して存在する住宅地は、あの矢野修平(背番号66)や酒井大輔(背番号67)が隠れていたそれであって、彼らの死体は意外と近くにあったはずなのだが、それを大下が知る由もない。球団事務所で受け取った書類は彼らの死を伝えていたが、二人を殺めたのが他でもない東出輝裕(背番号2)であることさえ、この時点では大下は想像することもできないのだから。
「しかし―――」
大下の右手にそびえたつ学校の校舎にちらりと目をやった。
「―――誰もおらんじゃないか」
「名古屋に行くのが憂鬱じゃのう」
昨日のユニフォーム姿とは一変し、ラフな服装になった達川光男(前監督)はゲーム進行のためのミーティングが終了してから、幾度となくそう呟いていた。
「仕方ないだろう?片岡なんかはともかく、大野は解説もこなしてるし現場復帰も絶対ありえる人材なんだから、知らせないほうがおかしい」
「そりゃそうじゃけど詰め寄られたりしたらかなわんけえ。よりにもよって次の試合は確実にバッテリー組むことになっとるし」
「その辺は阿南さんがうまくやってくれるはずだから。三村さんや外木場さんもいるんだし、そう一人で抱え込むな」
「ならええんじゃけど、わしがこのゲームの指揮をしとることを阿南さんが伝えてしもうたら、あの正義感の塊が何を言い出すかわからんけえねえ。ああ、マスターズリーグなんて参加するんじゃなかったわい」
これからゲームの存在を知ることになる大野との再開に脅えきった達川を見て、北別府学(投手コーチ・背番号73)はやれやれといった感じで一瞥すると、松原誠(チーフ兼打撃コーチ・背番号71)のもとへ足を運んだ。
「―――黒田が赤字になってますね」
「ついさっき首輪の電波が途絶えてな。私から見ても惜しい選手だったと思うが」
たしかに、まだ細かい改善点はあったが、それでも黒田は広島のエースになったと言ってもよかった。しかしとうとう、そのエースも消えたか。
北別府の心にはそれだけしか浮かばなかった。何の感情もわかない自分にやや驚きはしたが―――しかし、競争なんてこんなものだ。
「なんだこれは」
松原の一言に北別府は再びモニターに目を移した。
「それを降ろせ、木村」
「山崎さんこそ、その構えてるやつを降ろさないと巻き添えにしますよ?」
普通は猟銃とでも呼ばれているだろうその銃を構えつつも、山崎隆造(一軍守備走塁コーチ・背番号76)は焦っていた。―――なんで俺が見張りをしてるときに来るんだ、この馬鹿は。ちくしょう、俺はまだ人殺しになんかなりたくないぞ!だけど、ここで始末しなかったら俺たちが死んじまうじゃないか!どうすりゃいいんだ。
“この馬鹿”というのは山崎の目の前で右手にライター、左手にダイナマイトを持って構えている木村一喜(背番号27)のことだった。ゲームを動かす機械と、このゲームを進行させている達川をふきとばすから入り口を通せと言うのである。通せといわれて「はい、そうですか」と通す見張りなんているはずもなく、それを阻止するため山崎は見張りの当番がきたコーチに渡される猟銃を木村に向けて構えていた。
二人は極度に張り詰めた空気の中お互いを見つめあっていたのだが、その中で山崎は焦りと、そして迷いを感じていた。―――こいつが来たら俺は撃つべきなのか?通すべきなのか?このゲームは結局なんなんだ?
「うわあああああああああ」という声にその思考がフリーズした。突撃してきたのだ、木村が。引き金にかかった指に汗を感じる。―――どうする、どうすればいい、俺は?
「撃て!!」
突然後ろからかけられた声に山崎は思わず引き金を引いた。自分の意志ではなく、反射的にではあったのだが、瞬間、予想以上の衝撃が山崎を襲い、ドンともちをついた。上半身を支えきれずに、軽くではあったが後頭部も地面に打ち付けた。それで自分のしたことに気がついて慌てて起き上がったのだが、自分とは違い、木村が起き上がることはなかった。山崎の放った銃弾はちょうど木村の左頬のあたりから斜め上に向けて頭を貫通して、それと一緒に木村の脳や眼球、その他もろもろが吹き飛んでいた。間違いなく、即死だった。
「今時特攻隊もどきをやるやつがおるとは考えんかったな」
再び後ろからした声で気がついたことだったが、後ろには松原が立っていた。―――ああ、あの「撃て」の声はこの人だったのか。命令する方は何とも思ってないだろうが、俺はとうとう人を殺してしまった。どうしてくれるよ、松原さん?
松原に対していい思いはしなかったが、「あれは他に始末させるから、少し休んだほうがよかろう?」との松原からの促しには体が素直に反応した。何を考えるにしても、とにかくこの場からは離れたかった。
本殿に向かう時に松原は一言だけ吐き捨てた。
「木村は多少、“気”の出過ぎだったな」
【残り30人】
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