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遠く五発の銃声がして、河内貴哉(背番号24)も広池浩司(背番号68)も窓の外を見やった。
「あれ―――」
広池は頷いた。
「また銃声だな」
しかし、すぐ作業に戻った。言い方は悪いが、ほかの選手の事を気にしている場合ではなかった。
二人は集落にある、とある家の中にいた。二階の子供部屋と思われる部屋の机で、広池はノートパソコン(河内はパソコンのことはよく知らなかったけれど、普通のものとはちょっと違う形のそれについているリンゴのマークくらいは見たことがあった)と向かい合い、河内は広池が何をしているのかわからず、ベッドに腰を下ろして広池の方を見ていたのだった。その手には広池のベレッタがある。もちろん、ほかの侵入者がやってきたときのためだ。
「広池さん、そろそろ何してるか教えてくださいよ」
じれったげにそう言った。そう、パソコンと携帯電話をケーブルでつないで広池が忙しくパソコンのキーを叩き始めたものの、河内には何の説明もしていなかったのだ。
「ちょっと待っといて―――もうちょっとだから」
広池はさらにキーボードを叩いた。モノクロ画面のほぼ中央、ウインドウの中に“%”だの“#”だのが混じった英文が流れ、広池もそれに応えて打ち返した。
「よし」
最後にデータのダウンロードを指示し、広池は手を止めた。基本操作は当然ユニックスだが、ここばかりはマックに合わせて自分が設計した通り、ダウンロードの進行状況を示すグラフィックが別のウインドウで現れた。広池は腕を上に伸ばし、伸びをした。あとはダウンロードを待つだけだ(もっとも、終わったらログを書き換えて証拠を消さなきゃならない)。そのあとは、データをもとに作戦を練ることになる。単にデータを書き換えてしまうか、それとも独自のプログラムを組んでより巧妙に相手を騙すか。後者の場合ちょっと手間だが、それでも半日もあれば十分だろう。
「広池さん、説明してくださいよ」
河内がもう一度言い、広池は笑むと、自分もパソコンから体を離して椅子の背もたれに体を預けた。我ながらいささか興奮しているなと思ったので、気を落ち着かせるために一つ息をついた。無理もなし、さっきこの家に着いた時はまだはっきりしなかったのだが、今となってはもう―――勝ったも同然だった。ゆっくり、口を開いた。
「とにかく僕は、ここから逃げることを考えたんだ」
河内が頷いた。
「それで」
広池は自分の首を指差した。鏡を通してでないと見ることはできないが、そこには河内の首にあるのと同じ、銀色の首輪がしっかりとあった。
「本当は、これを何とか外したかった。これのせいで僕らの位置は達川さんたちにばれてるわけだ。つまり、今こうやって、二人一緒にいることも。このおかげで僕たちは逃げようとしても簡単に捕捉されるし、あるいは、中の爆弾に電波を送られたら一発で殺されてしまう。なんとか外したかった」
広池はそこで手を大きく開いた。肩をすくめてみせた。
「けど、あきらめた。内部構造がわからない以上、いじりようがない。取ろうとしたら爆発するって達川さんが言ってたけど、あながちうそでもないだろう。多分、起爆用のコードが外装の内側に張り巡らしてあるんだ。それを切ったりしたらどかんといく、そういう感じだと思う」
河内がまた頷いた。
「そこで考えた。ならいっそ、僕たちの捕捉とその爆破用の電波を管理してるあの神社のコンピュータに一働きしてもらおうって。本殿の奥にいろいろ置かれてたの、見てただろ?」
またまた河内は頷いた。というか、頷くしかできなかった。
「で、僕はパソコンを探したんだ。当たり前だけど携帯も持ってる。自分のパソコンがあれば一番よかったんだけど、さすがに練習に持ってこようなんて思わないし。まあ、とにかくこれが見つかったからいいんだけど」
広池が続けるうち、河内はそのパソコンと携帯電話が一体何をしているのかようやくおぼろげに理解し始めたらしかったが、しかし、急に何か思いついたように口を挟んだ。
「けど、電話は使えないって達川さん言ってたじゃないですか。携帯電話は使えてるんですか?」
広池は首を振った。
「いや、だめだった。一回適当に117って押したんだ。そしたら何が流れたと思う?“宮島さんの神主が〜”ってやつだったよ。すぐ切ったけど。この調子じゃ携帯電話の一番近い中継局をおさえてる。多分その電話会社のやつもだめだ」
「じゃあ」
広池は左手の指を一本立てて河内を制した。
「でも考えたんだ。達川さんたちだって外と連絡を取らないわけじゃない。それに、コンピュータだってここだけじゃなくて、きっと他のコンピュータにもつながってるはずだ。コーチが関わってるとなれば、球団も関わってる可能性が大きい。そしたらたぶん、いろんなデータを広島の方に送ると思うんだ。そしたら、それはどうやって送ってる?―――こんな大それたことができるなんて思わなかったけど、たぶん特定のナンバーだけ選択的に通してるように細工をしたと思う」
話が大きくなりすぎて、本当にそんなことが可能なのか河内は疑いたくなった。
「もちろん問題が起こらないとは限らない。―――何事も完璧ってのはないからね。そしたら、もしものために電話会社の人間が回線をいじれるようなことはしているんじゃないかって思ったんだ。そこで、こいつだ」
広池は携帯電話を手に取った。
「貴哉と違って、僕は野球エリートじゃなかったから、ここまでくるのに遠回りをしたんだ。僕がドミニカに行ってたっていうのは、知ってるよね」
河内は頷く。
「どの国にも裏ってもんがあってね。ドミニカでは僕もそっちの方々にずいぶん世話になったよ。その時に、日本の裏事情も色々と教わってきた」
広池が笑みを浮かべた。自分とはどこかかけ離れた、ワールドワイドな話だな、と河内はのんびり思った。
「その時の悪知恵の一つがこれに使われててな、これには電話番号と暗証番号のロムを二種類積んでる。外から見たってわからないけど、ここのネジを九十度回したら切り替えられる。そしてそのもう一つの番号ってのが、ま、もともとインターネット用にタダ電話がかけられれば、って作ったもんなんだけど」
電話から手を離した。
「電話会社の技術職員が使う回線テスト用の携帯電話の番号なのさ」
「ってことは…」
「理解したか?そっからはたいした話じゃない。この持ち主が使ってるケーブルもうまくつながったし、簡単に電話回線に入れた。それから一旦、自分のコンピュータにアクセスして、こういうのは特殊なツールがいるんだけど、それを取り寄せた。そんでここのプログラムを探すのに球団のサーバに侵入していろいろいじってみたら、普通こんなバカげたことしないんだが、作業用のバックアップファイルを残してたんだ。まあ細かいことはややこしいから説明しないけど、その中に一つ意味ありげな暗号文字があった。その解析は昨日のうちにやった。それが、これだ」
広池はパワーブックに手を伸ばし、通信状態はそのまま、別のメモファイルで開いて、ばかでかい表示で河内に見せた。
“tachukawa-michuo”
「タチュカワ?」
「そう。わざわざ子音の入れ替えで複雑にしてあるんだけど、とにかくこれがルートのパスワードってわけ。これがわかれば後はやり放題。それで今、神社の中にあったコンピュータの中のデータをまるごと頂戴してるところなんだ。僕はそれをいじって再度あそこのコンピュータに入り、まずはこの首輪を使えなくしてやろうと思ってる。そしたら禁止エリアも何も関係がなくなるから、あとはみんなを探して逃げればいい。なかなかだろ?」
もはや、河内は放心したような表情をしていた。
「すごい」
広池はその反応に満足してにこっと笑った。何にせよ、自分の能力を誰かに褒めてもらうというのはうれしいことだ。
「広池さん、なんで、広池さんみたいな人が野球選手やってるんですか?」
河内が放心したような顔のまま、広池に聞いた。
「ははは、くだらないこと聞くなよ」
笑顔で河内を見つめると、言葉を続けた。
「野球が好きだから、野球選手になりたかったから、なったんじゃないか。お前だってそうだろ?そりゃ、貴哉は高校時代から注目されてた人間だから、その辺の苦労はなかったのかもしれないけどさ。野球がなかったら僕だってこんな知識持ってないかもしれないし、その辺は偶然の積み重ねでこんなことになっちゃってるけど、どんな知識を持ってたって、僕も貴哉も同じ野球選手に変わりないよ」
わかったか、と言おうとしたその時―――ぶん、という音がした。広池は眉根を寄せ、いささか急いでパワーブックに視線を戻した。なぜならその音は、マッキントッシュ標準の警告音だったからだ。そしてその画面を見て、目を見張った。そこに出ているメッセージは、電話回線が切断され、ダウンロードが中断した旨を告げていた。
「―――何でだ」
広池の口から漏れた声は、うめきに近いものだったかもしれない。慌てて、キーボードを操作した。しかし、回復はできなかった。一旦ユニックス用の通信ソフトを終了し、別の通信ソフトでモデムから電話をかけるための操作を行った。
“回線がダウンしています”のメッセージが出た。何度やっても同じだった。モデムと電話の接続がおかしくなった様子もない。それで、今度は逆にモデムと携帯電話の接続を無効にしておいて、直接携帯電話のプッシュボタンを押してみた。とりあえず再び117を。しかし―――携帯電話はもはや、何の発信音も伝えてこなかった。ばかな。広池は携帯電話を握りしめたまま、今はただ停止しているパワーブックの画面を茫然と見つめていた。
ハッキングを気づかれたわけではない。そもそも気づかれないようにやるのがハッキングなのだ。そして、広池には十分その技術があった。
「広池さん?どうしたんですか?」
河内が声をかけていたが、広池は答えることができなかった。

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