Back | ||
澤崎俊和(背番号14)は、茂みの中からそっと顔を出した。どのくらいその異様な光景を眺めていたのだろう、額には不快な汗がふきだし、そのせいで短い前髪が額に張り付いていた。 視界のすぐ先に黒田を撃ち終わったばかりのユニフォーム姿があった。野球選手としては小柄なその体、背中にはやや不釣合いな大きな「2」の数字―――東出輝裕だった。東出は銃を持つ手を下ろし、黒田が飛んでいった(あの状態では走って逃げたというより走って飛んだという方が適切だった。そのくらいの勢いだった)ほうを眺めている。 澤崎は息を整えた。寒かったし、その光景に多少同様もしたが、特に気にはならなかった。何しろ、澤崎にとって最大の使命を果たす時がきたのだから。 ―――ジオン公国の一員として。 覚悟はいいか、シャア専用澤ザクよ。頭の中、自分をコントロールしてくれる最高のパイロット、シャア・アズナブルが聞いた。その声ははるか海を渡った広島の自室に飾ってある自分の分身(妻から「ただのプラモデルじゃないの」と揶揄されるそれ)から届いてくるようだった。 もちろんです。澤崎は答えた。私はあの悪魔が、酒井大輔と矢野修平を殺して現場から立ち去るのをこの目で見ていたのです。そのあと見失いはしましたが、ついさっき、再び発見しました。そして、野球において自分の最大のライバルであった黒田博樹までもを殺すのを見ました。あの男こそ、倒すべき敵なのです。そのために、ここまであの男を追ってきたのです。 ―――よろしい。お前は、自分の使命をわかっていたのだな。 もちろんです。右ひじの手術を受けている最中、そう、あの手術室の幾重ものライトの中、麻酔に身をゆだねながらも私はあなたからのメッセージを受け取りました。私が、いずれジオン公国の独立のために地球にはこびる悪と戦うことになる人間だと。その時はよく意味がわかりませんでした。でも、でも今ははっきりとわかります。 ―――よろしい。怖くはないか? いいえ。あなたの導きに従い、私には何も恐れるものがありません。 ―――よろしい。お前は私のために創られた選ばれたモビルスーツなのです。勝利の光があなたを包むでしょう。―――ん?何か? いえ。いえ。ただ、シャア様。私と同じ使命を持っていたはずのランバ・ラル・ヒロキは死んでしまいました(かつての黒田は、澤崎が「お前はランバ・ラルだな。『ザクとは違うのだよ』とか影で言っていないだろうな」と問い詰めるたびにあくびを隠していたのだが、まあとにかく)。彼は――― ―――彼は最後まで戦いましたよ、ザク。 ああ。ああ。やっぱり。けれど、けれど彼は敗れたのですね、悪に。 ―――まあ、そういうことだ。しかし、お前には彼の叫びは聞こえなかったのかい?『見ておくがよい…戦いに敗れるということを。こういうことだー!!』という最期の叫びが。そしてその思いを受け取らなかったのかい?細かいことは気にするな。何より、彼のために戦うんだ。そして、勝つのだ、ザクよ。あの悪に若さ故の過ちというものを知らしめてやるのだ! 澤崎の中に光が満ちた。温かい、すべてを包み込む大宇宙の力を。澤崎は安息の中でもう一度頷いた。はい。はい。はい。 それから、両刃のナイフを鞘から抜き出した。顔の前に両手で構えた。その青い刃に白い光が満ち、澤崎はその光ごしに東出を見た。東出の背中が見えていた。がら空きだった。 ―――今だ!今こそ、あの敵を打ち倒すのだ!! はい! 澤崎は音を立てないように茂みを躱し、だっ、と東出の方へ走った。わずか十五センチのナイフの周りに光が噴き上がり、それは長さ数メートルの剣へと変わった。光の剣は自分たちに立ち向かう地球連邦軍のモビルスーツを真っ二つに破壊するだろう。 東出輝裕は何事もなかったかのようにくるっと後ろを振り返ると、その右手のコルト・ガバメントをもう一度持ち上げ、二度、引き金を絞った。一発目が澤崎の胸に当たってその動きを止め、二発目が正確にその頭を撃ち抜いた。 緩やかにカーブした赤い線をその傷口から空に曳きながら、澤崎はどっと後ろに倒れた。「シャア…私を導いてくれ」と思ったかどうかは定かではないが、ともかく、澤崎は光の国へと旅立っていった。 東出輝裕はあっけなく力尽きた澤崎から視線を外すとその死体に背を向け、その場を走り去っていった。 【残り32人】
|
Next |