「黒田さん」
唐突に背後から声がかかり、黒田は座ったままばっと振り返った。同時に手を伸ばして福地の口からアイスピックを抜き取り、構えた。東出輝裕(背番号2)が黒田を見下ろしていた。
黒田は東出の右手に視線を飛ばした。大型の自動拳銃がその手の中にあった。東出がどんなつもりでいるのかはわからない。しかし、もし福地と同じようにやる気になっているのだとしたら、勝ち目がない。拳銃が相手では、勝ち目がない。逃げなければ。逃げた方がいい。黒田は再び、痛む右脚を引き寄せ立ち上がろうとした。
「大丈夫ですか?」
東出が聞いた。ひどく優しい声だった。銃を黒田に向けることはしなかった。しかし、安心すべきではない。黒田は後ずさり、手近な木の幹につかまって何とか立ち上がった。右脚が急速に重くなりかけていた。
「ああ」
黒田が一言答えた。東出は福地の死体をまじまじと見つめた。それから、黒田が手にしているアイスピックを見た。
「そんなものだけでやっつけたんですか?すごいですね。なんか、やっぱ違うっていうか」
本当に、心から感心した、という口調だった。それどころかうきうきしているような感じすらあった。チームメイトに囲まれるとまだあどけなく見える顔(そのつくりはどことなく自分に似ていたのだが)の中、目がきらきら輝いていた。それを見ながら、右脚からの大量の出血のせいなのか、体がぐらぐらしているような感じを受けていた。
「そうだ」
東出が言った。
「僕が高校時代に投手やらされてたこと、黒田さん知ってますよね?一応、甲子園でも投げたんですけど」
黒田は東出の意図が読めないまま、その顔を見つめていた(似たような顔が二つ見つめあっているわけだ。知らない人が見たら、ご兄弟ですか?なんて声をかけてくるかもしれない)。
「僕、ちょっとうらやましかったんですよね」
東出が続けていた。
「黒田さん、全球団見渡してもなかなかいないってくらいのピッチャーでしたもんね。ほんと、今まですごいなって思った投手は桑田さんと大輔―――それと、黒田さんくらいだったから」
黒田は黙って聞いていた。何かおかしかった。すぐに気づいた。なんで東出は、過去形で、喋っているのか?
「僕」東出の目がいたずらっぽく笑んだ。
「さっき“やらされてた”って言ったけど、嫌いじゃなかったんですよ、ピッチャー。それで、普通だったら無理ですけど、こんな状態でカープも選手がいなくなってきてるじゃないですか。だから、もしかしたら投げさせてもらえるかもしれない。もしそうなったら、黒田さんみたいなピッチャーになりたいと思うんです。自分じゃわかってないのかもしれないけど、後ろからみててもマウンド捌きとかすごく格好よかったんですよ。で、もしそうなったら黒田さんと一緒に投げられる。こんな大投手と一緒にローテーションが組めるなんて、なんて素晴らしいんだろうと思ってたんですけど…その右足じゃとてもじゃないけどもう無理ですよね、昔みたいなボールを投げようだなんて。だからとても―――」
黒田は目を見開いた。ぱっと体を翻すと、走り出していた。右脚は引きずっていたが、それでも、さっきと負けず劣らず素晴らしいダッシュだった。
「だからとても―――」
東出はコルト・ガバメントをすいと持ち上げた。三度続けて、引き金を絞った。木立の中、ゆるい下り勾配をもう二十メートルばかり向こうまで離れ、なおぐんぐん遠ざかりつつあった黒田のユニフォームの背中、「15」の数字に正確に三つ穴が開き、黒田はヘッドスライディングするように前のめりに倒れた。俯せになったままずずっ、と地面を滑り、左が白、右が赤と鮮やかな対照をなした形のいい脚が宙に跳ね上がった。すぐに地面に落ちた。
東出が銃を下ろし、言った。
「とても残念」
【残り33人】
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