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橙色にかすむ弥山の頂上を見て、佐々岡真司(背番号18)は何かが起こったことを確信した。あんな場所に照明なんかないだろう。とすれば、火か?火災が起こったのか、火災を起こしたのか。この状況ならきっと後者の確率が高いだろう。それにしても乾燥した冬の空気だ、その明るさからも激しく燃えているだろう事が容易に想像できた。
ちょっとした不安が佐々岡の中に走った。―――まさか、あれで死んではいないよな。
佐々岡は慌てて首を振った。今はそんなことを考えるな。そう自分に言い聞かせると、手にしていた小さな機械の、さらに小さな液晶スクリーンを見つめた。その中には“C”のマークが一つ、ほのかな薄赤い光を発していた。
佐々岡が手に持つその機械が果たして武器かというと、そうは呼べなかったに違いない。しかし、現在の状況、使いようによっては、銃よりもっと有効なものだっただろう。もっとも彼が今やっていることが、正しい使い方なのかどうかはわからない。とにかく―――佐々岡はもう一方の手に握った棒(これは支給された武器でなく、ただ拾ったものであった)を構えなおすと、背中をつけていた民家の板壁から離れ、百八十センチを超える大柄な体を俊敏に移動させると、斜め向かいのちょっとした店舗がついている家の壁にまた張りついた。
スクリーンを覗くと、Cのマークが中央にある相似形のマークに近づいていた。スクリーンの表示方法についてもう一度説明書にかかれていたことを反芻し、佐々岡は首を振り向けた。家だ。この―――中だ。
実際首を振り向けたすぐそこにある窓が割られていた。佐々岡はポケットに機械を押し込んだ。機械が説明書通りのしろものなら、誰かがここにいる。マークが動かなかったのを見ると、その誰かはじっとしているか、あるいは―――。
そっと窓のサッシを横へひいた。ありがたいことに音はしなかった。佐々岡は棒を持っていない方の手を窓枠にかけ、猫のような動きですっとそこへ乗ると、中へ入った。
部屋には大きな機械があり、その横に奥に通じる通路があった。佐々岡は音を立てないようにその通路へ足を運んだが、その時ある匂いが、部屋を充満させている甘い匂いに混じっているのに気づいた。場の匂いとは明らかに違う、錆びた鉄に鼻を近づけた時のような匂いだ。
それで、佐々岡はやや急いで通路を進んだ。匂いが強くなったその時、わずかではあったがぴちゃっという音がした。何か液体がそこに落ちているのだ。
佐々岡はデイパックから懐中電灯を取り出すと、自分の足元を照らした。照らされたスパイクの先に赤黒い液体が付着している。そのちょっと先、ほとんど乾きかけたその液体がこぼれた中に見えたのは誰かの足、ふくらはぎの辺りまで。佐々岡は目を見開いた。思わずその足の正体を確認しようと光を当てたその背番号で、この倒れている選手の正体が分かった。
「兵動…」
佐々岡は棒とデイパックを傍らに置き、ゆっくりその死体のそばに膝をつくと、震える手を兵動の肩にのばした。一瞬逡巡した後、その死体を裏返した。血を吸い込んだユニフォームの前面はもう赤黒く染まっていて、CARPの文字さえわからなかった。
死体は酷い有様だった。例の首輪(それが佐々岡をここに導いたのだけれど)の上、その喉がざくっと裂けていた。もはや血は流れ切ってしまったのか、傷口はただぽっかり穴のように開いているだけで、一瞬、自分の子供が生まれたばかりの頃の、まだ歯の生えていない口のようにも見えた。流血の跡はその傷口から下へ流れて銀色の首輪の表面を汚し、それから真っ赤なユニフォームへと続いていた。それに、これは倒れた後の事なのだろうか、血の池に漬かっていた口元と鼻の頭、それに左側の頬にもべっとり血がついていた。どよんと虚空を見ている目の周り、睫毛の先にも細かな血玉ができて、それも既に固まっていた。
―――違った、か。
佐々岡はその死体の凄惨さに気圧されこそしたものの、ちょっと安堵してふうっと息をついた。それから、安堵したことを申し訳なく思って、兵動の死体をそっと引き起こすと、血の池を避けて、ちょうど兵動が倒れたところから上がった所にあるリビングに仰向けに横たえた。すでに兵動の体は固くなっていて、なんだか人形を扱っているような具合だったが、とにかくそうしてからそっと目を伏せさせた。ちょっと考えた末、兵動の両手を胸の前で合わせようとしたが、兵動の体が固いせいでうまくいかず、あきらめた。
棒とデイパックを再び取って立ち上がり、もうほんのしばらくだけその兵動の死体を見下ろした後、佐々岡は踵を返すと、入ってきた窓のほうへ向かった。そこでさらにもう一つの戦いがあったことには、もちろん気づかずに。
丑三つ時は、もう、とうに過ぎていた。

【残り35人】

 

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