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登山道の途中、弥山の頂上から歩いて五分くらい行った所に、霊火堂というお堂がある。弘法大師ゆかりの「不消の火(きえずのひ)」(その名の通りこの聖火は千年以上燃え続けているらしい)を安置しているお堂であるが、その霊火堂の中に隠れている選手がいた。松本奉文(背番号35)である。
松本はここに到着した時、まず真っ先に中に人がいないのを確認すると、その扉を閉め中にずっとこもっていた。その間にも銃声や定時放送、さらには誰かの(何かを通して話していたようだが、さすがに距離があったのか、それとも外部との空間を扉で遮断したのがまずかったのか、それが誰の声で、何を話しているのかを聞き取るのはさすがに無理があった)声など様々な雑音が耳に入ってきていた。
松本には殺し合いなどもうどうでもよかった。とにかくここに閉じこもっておくつもりだった。誰も死ぬことがないせいで首輪が爆発するんならそれでよかったし、―――不謹慎ではあったが、みんな殺しあって自分ひとり生き残ってしまっても仕方がないと思っていた。とにかく外に出る気はなかった。ここなら不消の火のおかげで多少ではあるが明かりを確保することはできたし、暖をとることもできた。しかもご丁寧に、その燃える火の上には大茶釜までかけてあった。さすがに餓死するのは寂しい気がしたので、食料がなくなったら、そこらへんの草でもむしって、その茶釜で何か作ろうと思っていた。その辺アイディア次第である。
ただ、松本には一つ気になる事もあった。ここに閉じこもるのはいいが、もし、他の誰かがここに入ってきたらどうするのか。ここが禁止エリアにならない限りその可能性は少なからずあった(ちなみにここが禁止エリアに指定されたとしても、松本は外に出る気はさらさらなかった)。攻撃されるのは構わない。その覚悟は出来ている。しかし、一緒に行動しようなどと言われてしまったらどうしようか。二人で(あるいは複数で)ここに隠れるのか?ここを出るのか?勿論その時になってみなければどういう結論を出すかはわからなかったけれど、少なくとも、他の誰かを殺すことだけはしたくなかった。―――いろんな理由をつけてここに閉じこもっているが、実際は他人を殺したくないだけでここにいるのかもしれない。平和主義?気が小さい?…まあ、中にはそういうやつがいたっていいんじゃないの?
それにしても、と松本は心の中で呟いた。―――それにしても、宮島でこんなことやっていいのかな?厳島神社なんか世界遺産になったのに、ただの野球チームが宮島を貸しきってこんなことするなんて。後から弁償させられたりとかしないのかな。うわ、貧乏球団なのに払う金があるのかよ。あ、でも、ここで選手は一人だけになるんだからその分の給料が浮くのか。なら別にいいか。…やめとこう。そんなこと考えるだけで気が滅入るよ。
松本はごろんと床に寝転がった。広島出身の松本にとって、宮島は遠足などで気軽に訪れた馴染みの場所だった。その頃の思い出が走馬灯のようによみがえってきて、少ししんみりした気分になっていた。あの頃野球に出会わなかったら、今ごろ自分は何をしていたんだろう。野球と同じで、人生に「たら」「れば」を使うなど妄想の類に過ぎないけれど、こういう状況に陥れられると、ついそんなことを考えずにいられない精神状態になってしまうのかもしれなかった。
ごとっという音がして、松本は慌てて身を起こした。間髪いれずに、ぎいっと扉が開き、光の帯があちらこちらを照らしている。あまり起こってほしくないことが現実になってしまったようだ。―――誰かが来たんだ。
さまよっていた光の帯がふいに松本をかすめた。光の主はそれに気づいて、松本に光を当てる。あまりの眩しさに、松本は目がくらみ手でその光を遮った。
「松本さん?」
光の主が声をかけた。
「松本さんですよね。俺です、岡上です」
そう言って、自分の顔に懐中電灯の光を当てる。それはまぎれもなく岡上和典(背番号37)であったのだが。
「わっ、お前、その当て方やめろ、こえぇよ」
岡上は無邪気な笑いを浮かべ、懐中電灯の光を自分の顎の下から当てていたのだった。ぬっと現れた岡上の顔はあまりに不気味だったので、松本も思わず吹き出して岡上に注意した。
「すいません。でもよかった、松本さんなら安心だ」
肩をすくめるしぐさを見せて、岡上が堂の中に入ってきた。特に武器みたいなものも持っていないようだった。とりあえずは、松本もその来訪者を歓迎した。
「ここまでこの暗い中歩いてきたんか?」
「そうですよ、めちゃくちゃ怖かったですよ」
「そりゃお疲れだったな。…ところでさ、お前、もらった武器なんだった?」
「ああ、ピストルだったんですけど使う勇気がなくて。別に使う必要もないと思ってるんですけどね。松本さんは?」
「俺?俺のはあそこに置いてある。火炎瓶なんだけど、そんなもんもらってもなあ」
「そうですよね」
二人は苦笑した。苦笑しながら、松本の指差した先にあった火炎瓶を見た岡上の視線が一瞬獲物を捕らえた獣のように鋭くなったのに、松本が気づくはずはなかった。
「松本さん、ここにずっといたんですか?」
「まあね。どうも人を殺すとかそういうのは…」
言葉を続けようとした松本が、ふとある可能性に気づいた。今生存している選手なら誰しもその可能性があるわけだが―――岡上はそのようなことができる人間だろうか?
「どうしたんですか?」
変に言葉を区切った松本に、岡上が声をかけてきた。
「いや。…変なこと聞くようですまないが、お前これまでに誰かを殺したか?」
唐突な質問に岡上が目を丸くした。
「何言い出すんですか?んなことするわけないじゃないですか。松本さん、疑ってるんですか、俺を」
「そういうわけじゃないよ。すまん、気を悪くするようなことを言って」
「…いや、いいです。いきなりこんなことになってしまって、誰でも疑いたくなりますよ。松本さんは―――そんなことしてないですよね」
「さっきのお前の台詞、そっくりそのまま返してやる。んなこたぁない」
そういって松本は笑った。他の選手に会うことに一番気が引けていたはずなのに、こうやって実際会ってみると、嘘のように自分の中に安堵感が広がっていく。
「なんかお前が来たすぐで悪いんだけど、安心してすごい眠たくなってきた」
「あ、そうですか?なんなら交代で見張りしてお互い睡眠とっときません?俺もここまで歩いてきて相当疲れましたよ」
「そうだな、そうするか。今何時かわかるか?」
岡上が腕時計に懐中電灯を当てる。
「もう十一時ですね。いい加減寝たほうがいいかもしれないです。…松本さん、先に寝ます?」
「お、いいんか?」
「そのかわり六時を起床時間としたら…二時半に起きてもらいますよ。僕も寝たいですから」
「二時半か。わかった、お前きちんと起こせよ」
「わかってますって」
一通りのやり取りの後、松本は平舞台で支給された毛布をかぶると、余程疲れていたのであろう、すぐに寝息を立ててしまった。岡上はじっと座っていた。視線の先には、松本の武器である火炎瓶がある。何を思うこともなく、岡上はあるものをただじっと待っていた。
ちょうど一時間たった頃、岡上の待っていた“それ”はやってきた。
『みなさーん、こんばんはー。夜中にすまんのー。けどこれがわしの仕事じゃけぇ、きちんと聞くようにー』
夜中でも、相変らず達川の声は明るかった。やっときたか、と半ばうんざりした表情を岡上は浮かべた。定時放送はあちらこちらに器材が仕組まれていたのか、どこにいてもかなりの大音量で響いていた。普通の目覚まし時計以上の騒がしさだろう。しかし―――松本は相変らず寝息を立てていた。これならちょっとやそっとの騒ぎでは起きることはないはずだ。
今回の定時放送では鈴衛、矢野、酒井が死んだことを知らせ、殺し合いのペースをあげるよう注意を促しただけであった。岡上は定時放送の間も全く変化を示さなかった松本を見届けるとすっと立ち上がり、自分と松本のデイパックを担いだ。そして、無造作に置いてある火炎瓶を手にとった。
「二時半までじゃなくてもいいですよ。永久に寝ててください。その方が、松本さんも幸せだ」
岡上は火炎瓶の傍らで寝ていた松本にそう吐き残すように言い残すと堂を出た。ただし、扉はあけたままで。
ある程度堂から離れて岡上は荷物を下ろした。そしてその場から堂の入り口めがけて火炎瓶を投げた。火炎瓶は素晴らしい軌道を描いてその扉の中へ吸い込まれると、そのままものすごい勢いで発火した。みるみるうちに霊火堂は火の手に包まれていった。
飛んでくる火の粉に注意もはらわず、岡上はその様子をただ見守っていた。松本の質問に対する答えに嘘はなかった。あの時点では、俺はまだ殺してはいなかった。ただ―――殺し損ねたのだ。あの小賢しいチビを。あいつはこれからもうまく動いていくだろう。だが、そうはさせない。あいつの餌は極力減らしてやる。そのためには、全てを消し去るしかない。そしてあいつを追い詰めて俺が殺るんだ。
燃え盛る霊火堂を見ながら、岡上は確認するように自分に言い聞かせた。
―――これは序章に過ぎない。東出輝裕を殺すための序章に。

【残り35人】

 

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