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真っ暗闇の中、一筋の懐中電灯の光が動いている。ゆっくりとしたスピードながら、それは確実に山を降りていた。光があるといっても、それはほんの少しの範囲しか照らすことが出来ない。すぐ近くの木からドングリの実が落ちる、そのほんのわずかの音でさえ、この状況では心臓がフライングしそうな程の衝撃を心に与えていた。 ふいにその光を藪の切れ目にある何かが撥ね返した。誰かの懐中電灯の光かと思って少々焦ったが、そうではなく、それが動くものではないとわかるとゆっくり近づき、その正体を確認した。―――どこの家にもありそうな包丁であった。普通山の中にこんなものが落ちているはずはない。誰かが落としたのか?…いや、大事な武器を落とすわけはないだろう。となると、ここで何かが起こって、この包丁の持ち主が消え、武器だけが取り残された。そういうことになるだろう。 その包丁を手に取り、野村謙二郎(背番号7)は自分のデイパックの中に入れた。あまりいい話ではないが、なにかあった時のために武器は一つでも多いほうがよかった。辺りに持ち主も転がっているかと思い、持っている懐中電灯の光を動かしてみたが、それらしいものは見当たらなかった。この持ち主を殺った誰かが、死体だけ移動させたのかもしれない。武器には気づくことなく。 とりあえず同じ場所に長時間いることもない、そう思って野村は再び山を降り始めた。自分が移動している場所は簡単な階段になっている。やや急ではあるが、茂みの中に比べれば歩くのにはとても楽だった。もっとも、障害物がないために誰かに見つかったらひとたまりもなかったが。 夜の移動は危ないような気がしたが、野村はあえてそれを選択した。夜の移動の危険性を考えるなら動かないのがセオリーだ。なら他の選手も同様に動くことはないだろう。だったら多少危険でも今動いたほうが、他の選手には会わないで…戦わないですむのではないだろうか―――そう思って野村は今、動いているのであった。実際、叫び声や銃弾などの怪しい物音を聞くことはなかった。昼は目の前で銃撃戦が繰り広げられたというのに。 それにしても思った以上に山を登っていたらしい、行けども行けども平坦な土地にたどり着くことができなかった。自分が立てているはずのざっざっという足音が耳の中で増幅し、まるで誰かが後をつけているような気がした。何度も何度も後ろを振り返ったが、人の気配はない。それでもその足音が消えることはなかった。暗闇が作り出す恐怖が知らず知らずのうちに野村を蝕みつつあった。 ふと、しかしまたも懐中電灯の光が何かをとらえた。―――倒木?いや、違う。白地に赤い線が一本走っている。これは、ユニフォームじゃないか!? 誰かが倒れているのだ。野村はおそるおそる懐中電灯の光を今あてている足から体の方へ動かした。その光が暗闇の中から背中の背番号を読み取らせた。OGATA、9―――。 「緒方、緒方」 それが緒方孝市(背番号9)だとわかると慌てて駆け寄り、小声で呼びかけながら倒れている緒方の体を揺すった。ひととおり緒方を見るが、顔と手に擦り傷はあるものの、たいした傷ではなさそうだ。何より体は温かかった。緒方はまだ、生きている。 しばらく体を揺らすが緒方からは何の反応もなかった。何か方法は―――そう考えて、野村は緒方を仰向けにすると、デイパックから水の入ったボトルを取り出し、その中身を緒方の顔に勢いよくこぼした。少々荒っぽい方法ではあったが、とにかく何でもよかったのである。緒方が意識を取り戻しさえすれば。 すぐに緒方の表情が動いたかと思うと、勢いよく咳き込んだ。懐中電灯の光が眩しかったのか、はたまた水を飲んでしまったのか、表情が歪んでいた。 「気がついたか?」 懐中電灯で緒方の顔の辺りを照らす。緒方は一瞬、自分の置かれた状況を理解できないようだったが、すぐにその懐中電灯を持つ選手を認めると、心の底から安心したような笑みを浮かべた。 「野村さんじゃないっすか…」 「大丈夫か?こんな所でお昼寝か?」 冗談をいう場面ではないが、野村が意地悪い質問をぶつけてみた。 「そんなわけないでしょう―――これって夢じゃないですよね?朝山は?」 「朝山?」 不思議に思った野村が周囲を懐中電灯で照らすと、さらに一人、数メートル下に倒れている人影を発見した。それを見て何となくではあるが事を察した野村が、今度は真顔で緒方に聞いた。 「…朝山となんかあったのか?」 「取っ組み合いになって、ここを転がったまでは覚えてるんですけど」 「―――なら、そこで二人とも気を失ったってわけだな。どっちからだ?」 「朝山が包丁を構えてて」 「包丁?」 自分がここまで来る途中に拾ったあれは、朝山の包丁か。なら辻褄があう。しかし、朝山までもこのゲームに乗ってしまっていた。―――待て、もしかしたら緒方も? 「お前、このゲームに乗ったんか?」 緒方は、まさか、というような顔を野村の方に向けた。 「そんなわけないじゃないですか!―――そりゃ、朝山と向きあった時はそれに乗りました。だけど、好きで乗ったわけじゃない」 あまり緒方は嘘をつくのは上手ではない。自分の気持ちが必ず表情や態度に表れるやつだ。長年一緒にプレーしてる野村もそれはよく知っていた。ここまでムキになるなら、こいつはまだ大丈夫そうだ。 「わかった。まだいたんだな、俺みたいなやつも」 「まだ、って―――そんなにみんな殺しあってるんですか?嘘でしょう?」 「お前、朝山とやりあったくせに本当にそう思ってるのか?」 きつい口調で放たれた野村の一言への緒方からの返事は返ってこなかった。殺しあうなんて、という理想と、殺されかけた現実。自分の身を守ろうとしたその時に“殺しあう”というこのゲームのルールをきちんと飲み込んだはずだったのに、いざ自分が死ななかったとなると、やはりそのルールから目を背けたいという気持ちが強く動いていたのだった。 「とりあえずこれからどうする?」 「これから…」 野村の問いにまたも答えは出てこなかった。それは当たり前かもしれなかった。なにせあの時、自分の死を確信していたのだから(よく考えれば余程打ち所が悪くない限り転がるだけで死ぬことはないんだろうけれども)。緒方の複雑な表情を読み取って、野村は言葉を続けた。 「俺は―――できるだけみんなを集めて広島に戻りたいと思ってる。この目で何人か、死ぬ瞬間を見てきたけど…でも、まだ残ってるやつだけでも集めて何とかしたいと思ってる」 「そんな…そんなことできるんですか?」 「やらないであきらめるよりまず行動することが大切なんだ。たしかに、行動してもそれが成功するとは限らない。―――お前は知らんと思うが、建と横山がみんなを説得しようとして、誰かに殺された」 野村の言葉に緒方の表情がこわばった。 「建と横山が?」 「ああ。ハンドマイクか何かで呼びかけをやってな。たぶん、この山に隠れてる人間なら全て知ってるはずだ。そのくらい派手に呼びかけていたんだが―――あいつらの悲鳴が聞こえて以来、二人からの音沙汰はなくなった。そして六時の放送で名前が呼ばれた」 「―――そんな」 「でも、あいつらも結局はみんなで広島に帰ることを願っての行動だったんだ。俺もそうだったが、それに答えようとしたやつもきっといる。だから―――俺は希望を捨てない。建のためにも、横山のためにも」 野村のその思いが痛いほど分かるような気がして、緒方も胸が熱くなった。こんな時でも人に影響を与える一言をつむぎだせる。野村がチームリーダーとして慕われ、尊敬される所以だろう。 「緒方、お前も協力してくれないか」 その呼びかけには、全く躊躇することはなかった。 「勿論です。一緒に…一緒に頑張りましょう」 【残り36人】
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