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兵動秀治(背番号4)は、おそらく昨日まで普通に使われていたのであろうソフトクリーム屋の機械の陰に隠れていた。その空間にこびりついたかのようなソフトクリームの甘ったるい匂いが兵動の神経をますますかき乱した。時計は9時少し過ぎたばかりである。0時と6時にあると言っていたはずの放送は、このときはまだなかった。兵動はここに2時間ほど隠れていた。
出発した直後、兵動は自分がどちらに走っているのかさえわからない状況だったが、気がつくとこの店に紛れ込んでいた。入り口と窓の鍵を閉め篭城してしまえば、少なくとも、例の禁止エリアとやらの件で動かざるを得なくなるまでは安全でいられる。首輪の存在は重苦しかったが、そんなことはどうでもよかった。殺し合いなんて、とてもできない。けれどもし、この場所が最後まで禁止エリアにならないのならば、自分は生き残れるかもしれなかった。
支給されたデイパックのほかに自分のバッグがあったのを思い出して、兵動は自分のバッグをあさった。ユニフォームに着替える前の私服やグローブ、そしてその次に手に触れたもの。
携帯電話。
達川は携帯など使うなと言っていたが、この状況になって誰がそのようないいつけを守ろうか。
兵動は震える手で電話のフリップを引き開けた。自動的に着信待機状態から発信待機状態に切り替わり、小さな液晶のパネルとダイアルボタンに明かりが灯った。
―――よっしゃ!
兵動はもどかしくダイアルボタンを押した。誰がいる、と考えて、なぜかとっさに頭に浮かんだ同期の遠藤に電話をかけた。0、9、0、―――。
一瞬の沈黙の後、呼び出し音が鳴った。兵動は心の中で叫んだ。早く、遠藤さん!
ぷつっと音がして「もしもし」という声が聞こえてきた。
「え、遠藤さん。俺です、兵動です。今どこにいるんですか?遠藤さん?」
ほとんど錯乱状態で電話に向かって喚き続けた兵動だったが、相手が何も言わないのでふと我に返った。何かが、おかしい。何か?遠藤さん?違うのか?
ようやくその電話が言った。
「遠藤じゃないよ、達川だよ。電話使ったらいかん言うたじゃないか、兵動」
兵動はひっとうめいて慌てて通話終了のボタンを押した。心臓が脈打つのがよくわかった。
しかし、その心臓は、もう一段階ジャンプさせられることになった。
すぐ近くで、かしゃん、とガラスの割れる音がしたので。
兵動は窓のほうを向いた。いかにも身軽そうな人間が窓から侵入してきたのだ。
東出輝裕(背番号2)だった。
東出はあたりを見回すと誰もいないと思ったのか店舗につながっている住居の方に向かおうとした。高鳴る鼓動を必死に静めようとしながら兵動は考えた。東出が住居の方に行ったらここから逃げよう、と。東出は用心深くあたりを見回しながら住居へ入ろうとする、その時だった。手にもっていた携帯電話が鳴り出した。―――なんでこんな時に!
兵動はとりあえずその発信音を消そうとやっきになったが、思考回路がショートしかけていて反射的にフリップを開いてしまった。声が流れ出す。
「えーと達川じゃけど、電話の電源は切っとけよ。あ、それと遠藤な、出発してすぐ死んじゃったんだよ。もう遠藤には電話―――」
兵動の指が通話停止ボタンを探り当て、達川の声はぷっつり消えた。息苦しい沈黙がしばし続き、そして、
「誰かいるんですか?」
という東出の声がした。ここまでヘマを犯して隠れとおせるわけがない。兵動は機械の陰から姿を現した。デイパックに入っていたナイフをズボンの後ろに隠して。いくら年下の選手でも油断は出来ない。ましてや東出である。こいつは前々から何を考えているかわからない節があった。東出が襲ってこようものならナイフを出してやりあおう。そう兵動は思っていたのだが。
しかし、兵動のその考えは予想もしなかった展開に唐突に中断した。持っていたデイパックをゴトッと落とし、東出がペタンと床に腰を落とした。そして東出は泣き出したではないか。
「よかった…誰もいなくて怖かったんです。銃声があちこちで聞こえるし、とても怖かった」
東出は嗚咽を漏らす。その手には武器など何も握られていない。
「兵動さん、兵動さんはこんな糞ゲームに参加しようなんて思ってないですよね。みんなで一緒に帰りましょう。達川さんはおかしい。僕らまた帰って野球をやりましょう」
兵動は一瞬、茫然としていた。あの東出が泣いている。自分に助けを求めている。
「あ、ああ。こんなバカみたいなゲームにのるわけないじゃないか。そうだよな、東出の言う通りだよな…みんなで広島に帰ろう」
すっかり安堵して兵動は東出に歩み寄ると、立ち上がるようにと手を差しのべた。東出が立ち上がったその時、何かが兵動の横を飛んでいった。そして兵動は耳にした。何か切れ味のいい包丁でレモンか何かを切ったようなザクッという音を。
何が起こったのか兵動は理解に苦しんだ。兵動には東出の右手が見えていた。自分の顎の下あたり、左側だ。そしてそこからは、何かバナナのようにゆるやかにカーブした刃物がのびていた。カマだ、稲刈りにでも使うような。その先端が自分の喉に入っている―――。
東出は右手をさらに一、二度押し込めた。その度にザクッ、ザクッといい音が響き、兵動は自分の喉が猛然と熱くなるのを感じた。そして、兵動はそれが何を意味するかを理解する間もなく事切れた。自分に向かって倒れてくる兵動の死体を東出はヒョイとよけた。その死体の首にささっていた鎌をなにを思う事もなく引き抜くと、東出はうっとおしい涙を拭い(こんなもんでひっかかるなんて、なんてバカなやつなんだろう、こいつは)鎌をひゅっと振って血を拭って、その視線に入ったナイフを奪い取った。長居は無用、姿を消そうと視線をあげて、固まった。
自分と兵動しかいないはずのこの空間に、岡上和典(背番号37)がいた。

【残り44人】

 

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