Back | ||
瀬戸の細い目と新井の視線がかちあった。細いがそれなりに見開かれ、血走った目。廣瀬と全く同じ目だった。顔色はあの平舞台で見た時と同様極度に青ざめており、人間の顔色というよりはもはやお化け屋敷なんかで見る蝋人形に近かった。 その拳銃の銃口が動く気配に、新井は身をひねりざま仰向けになり身を低くした。瞬間、ぱん、という破裂音がして拳銃が小さな火炎に包まれるのが見えた。自分の頭のすぐ上を何か熱いものがかすめた。もっともこれは、気のせいかもしれない。とにかく、弾は当たっていなかった。 新井は何を考える余裕もなく、ただ仰向けの姿勢のまま後退しようとした。足もとに転がる砂利が音を立てた。―――到底間に合わなかった。逃げられるわけがない。 瀬戸は、もはや新井の眼前三、四メートルにまで近づき、新井の胸の辺りに狙いを定めていた。新井の顔の筋肉が、石膏彫刻にでもなったように固く固くこわばった。体の中に、今度こそ本物の恐怖が膨れ上がった。あの銃口が次に吐き出す小さな小さな鉛玉が俺を殺すのだ。俺を―――殺すのだ! 「やめんか!」という別の声がした。瀬戸がびくっと顔を斜め後ろへ振り向けた。新井もぼんやりその視線を追う。声の主の姿を確認した瞬間、新井の耳の中で、彼が登場する時にまるで決まり事のようにあがるあの大歓声が聞こえたような気がした。 いつもどの選手にも負けない大声援を背負っていた孤高の選手、前田智徳(背番号1)がそこには立っていた。手にポンプ式ショットガンを持って。 いきなり瀬戸がその前田に向けて撃った。新井は前田がすっと腰を落とすのを見た。前田が膝立ちの姿勢で保持したショットガンが吠えたと思うと、火炎放射器みたいな火花が銃口から伸び、次の瞬間、瀬戸の右手が消失していた。血の霧がぽう、と空を流れ、瀬戸が唐突にそこに目の前に出現したアンダーシャツの袖をまとった腕を一瞬不思議そうに見つめていた。まだまだ左手は残ってるからお得意のパスボールをするのには不自由はないけど、ボールはどうやってピッチャーに返そうか?あまり盗塁は刺さないけど(それでも強肩って言われてるんだ)どうやって二塁三塁へボールを送球しようか?何より打席には、左手一本でバットを持って立つのかい? ―――そこに落ちたのは、なんだい? 「ああああああああああああああああ」 瀬戸が思い出したように動物のような叫び声を上げたので、新井は瀬戸がそのままそこに膝をつくのだと思った。前田は何事もなかったかのように次の弾を装着し終えていた。しかし、瀬戸は新井の予想通りには動かなかった。瀬戸はまず目の前の自分の腕から左手で銃をもぎ取った。バトンリレーじゃないんだから。―――何を考えてるんだ、俺は。ちくしょう、最悪のバトンリレーだ。 「やめろと言っとうじゃろうが」 前田が叫んだが、瀬戸はやめなかった。銃を前田に向けて構えた。打つ気さえおこらない棒球が投げられた時に見せるいまいましそうな表情をちょっとだけ浮かべて、前田がもう一度撃った。瀬戸は体の真ん中からくの字に折れ曲がって、走り幅跳びの選手のような姿勢で、ただし、後ろに吹っ飛んだ。ぶらりと伸びたつま先から接地して、次の瞬間こま落としのようにがくんと仰向けに倒れた。それきり動かなかった。 新井は慌てて身を起こした。瀬戸の死体に目をむけたくはなかったが、それでも視線が自然とそちらへ向かう。前田はその死体にはほとんど目をとめず、ショットガンを構えたまますぐに新井に近づいてきた。新井は目の前で立て続けに起こった事態、それに廣瀬と瀬戸の凄惨な死に様にまだ圧倒されていた。 「動くな。持ってるモンを捨てろ」 その声に、新井はようやく自分がナタを持ったままだったことに気付いた。新井は言う通りに血に染まったナタを足元に捨てた。そのとき、森笠が落とし穴のような斜面になっていた窪みの上に現れた。さっきの銃声を聞いて顔は既に青ざめていたが、登山道に無造作に倒れている廣瀬と瀬戸の死体、向きあった新井と前田を見て息をのむのが分かった。前田も森笠に気付き、さっとそちらにショットガンを向けた。 「前田さん、やめてください!俺と森笠、一緒に隠れてたんです」 それを聞いて、前田はその視線を面倒そうに新井の方に戻した。相変らずの仏頂面だった。新井は森笠にも叫んだ。 「森笠!前田さんが助けてくれたんだ!前田さんは敵じゃない!!」 もう一度森笠をちらっと見て、前田は銃口を下げた。そしてボソボソと呟くように言った。 「先に言い訳しとくけど、これを撃ったのは仕方なかった。それはわかるな?」 新井はそれでもう一回瀬戸の死体のほうに目をやり、それから前田の言葉も突き合わせて、ようやく、もしかしたらと思った。もしかしたら、瀬戸さんは混乱していただけなのかもしれない。そう、自分が廣瀬を倒したのを見て何か勘違いしたのかもしれなかった。誤解しても無理はない。だが、前田の言う通り、いずれにしても前田の行為はとがめられなかった。前田さんは撃たなければ瀬戸さんにやられていたに違いない。自分だって、廣瀬を倒したのだ。新井は前田に顔を戻した。 「わかります。助けていただいてありがとうございます」 前田は少し肩をすくめた。 「瀬戸を止めただけなんじゃが、そういうことになるわな。まあ、お前みたいなやつがおってよかったわ」 新井は実際、かなり意外な気がしていた。あの平舞台で自分はこう考えたのだ。前田だけは…恩師の山本監督も殺され、自棄になってこのゲームに“乗る”かもしれない、と。しかし、その前田が自分を助けてくれたのだ(いつも小言を言う割には面倒を見てくれていた金本あたりがこういう役割を果たすだろう、とも思っていたのに)。 前田は何か考え事をするように窪みの上でこちらを見る森笠をしばらく見た後、 「お前ら、一緒にいたんか?」 と聞いた。 「はい」 新井の返事を受けて苦笑いでもするように言った。 「今時の若者はええのう。わしらの頃は殴り合いなんかしょっちゅうだったのに」 そういえば入団当時の前田と浅井は仲が悪かった、と聞いたことがあった。殴り合いの喧嘩はさすがの新井にも経験はなかった。 「まあええわ。とりあえず森笠の所に戻ろう。わざわざ無防備につったっとくか?」 【残り42人】
|
Next |